化野念仏寺 – 平安時代の京都三大風葬地の一つ
レジャー概要
化野念仏寺
千灯供養依頼のあだしの念仏寺にやってきました。
化野は「あだし の」と読み、あだしは古語で「悲しい」「はかない」という意味があり、「あだしなる野辺」と呼ばれていたものが後に化野と呼ばれるようになったと云われています。
鎌倉時代の徒然草に鳥部野と並び化野が人生の無常をあらわす枕詞に使われております。
あだし野の露消ゆるときなく
鳥部山の煙立ち去らで
住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
化野の石仏には常に露が滴り、鳥部野の山では煙が消える事がない。人間が永遠に生きるものだとしたら、いかに世の中はつまらないものだろう。この世は無常であるからこそ美しい。という意味です。
料金はおとな500円です。外人が多かったのですが、入ってどう思うのかな?
平安初期の811年(弘仁)真言宗の開祖・三筆の一人である空海が疫病が流行っていた都を訪れた際人々に土葬を教えました。化野にある無数にある野ざらしにされた遺体を哀れに思い、また疫病の発生を抑える為に遺体、遺骨を埋葬しその上に1000体の石仏と堂を建て、五智如来寺と称したのが始まりと言われています。
苔がとても綺麗な道。
仏舎利塔。仏舎利塔マニアとしては入ってみたいのですが、上へは上がれないようになってました。規模も小さめです。
そしてメインの西院の河原。中からは撮影できないので外から撮影させてもらいます。ちなみにこの枠の中が西院の河原
仏塔と8000もの石仏がずらりと並んでいます。
石仏の迫力もありますが、綺麗な青空がよく似合います。
千灯供養では多くの人で賑わいますが、この日は平日で人も少なめでした。
いろいろな角度から撮影。
鐘と石仏がとても綺麗にマッチしています。
ご本尊の阿弥陀如来
竹の道を通り、六面地蔵へ向かいます。
こちらが六面六体地蔵。六面六体地蔵は六つの迷界(六道:地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道)のそれぞれにお地蔵様が居られ人々を救われる姿を現したものです。
六面六体地蔵の説明
最後に西院の河原を撮影して帰りました。
感想・まとめ
集められている石仏は化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものです。その西院の河原と境内には水子地蔵は撮影禁止でした。
生生しい過去の残るお寺で特別な雰囲気のあるお寺です。千灯供養で多くの人で賑わうので、その機会にでも一度足を運んで石仏にろうそくを灯してください。