イブネ・クラシ – 鈴鹿山脈の秘境、奥座敷と呼ばれる苔の台地
レジャー概要
メンバー
鉱山の歴史の地を歩く岩ケ谷林道~杉峠
こんにちは~☆tamuraです!
今回やってきたのは、少しマイナーな山ですが、鈴鹿山脈の雨乞岳の北側にある台地型のピーク「イブネとクラシ」へ行ってきました。
「イブネとクラシ」と書くと、なんだか絵本のタイトルみたいで可愛いですねw
4年前に雨乞岳に登った際に、杉峠への下り坂で目の前に大きな山体が見えていて「なんていう山なんだろう…」と地図を見た時に「イブネクラシ…変な名前!」と思ってからずっと気になっていたのです。
イブネの由来は、漢字で書くと「伊船」と書き横たわった船のように見える事からそう言われたという説がありますが、詳しくは分かっていません。
クラシの由来は、漢字で「暮尾」と書き、ニホンカモシカの古名である「クラシシ(嵓猪)」から取った説があり、こちらも詳しく分かっていません。
忘れていた頃に、今回の(というかいつもの)同行者の涼さんから誘われて、ちょうど今は秋で紅葉が見れそうですし楽しみにしていました。
イブネは鈴鹿最深部にあり、最後の秘境などと言われており苔の台地が美しいのですが、かつては人の背丈ほどの藪で近寄る事さえできなかったのだとか。鹿による食害で現在は苔むした湿原地帯となっています。
ちなみに、鈴鹿にはセブンスマウンテンというものがありますが、東近江市の出している「鈴鹿10座」というものもあり、イブネはこの10座に含まれています。
今回は甲津畑(かづはた)の岩ヶ谷林道起点から出発し、歴史街道である千種街道を歩き、杉峠を経由してイブネクラシに向かい、タイジョウ経由で帰る事にしました。
こちらが岩ケ谷林道の起点となる所。情報量が多くてカオスですね。
杉峠まで155分というロングコースですが、そういった歴史の跡や鉱山跡、古木の並木などを見ながら歩く事が出来て、個人的には退屈しない道でした。
このあたりには八風街道という有名な山越えルートがありますが、ここは千種越え(街道)といって、八風街道から分岐し南側のルートを辿る近江と伊勢を結ぶ重要な商業ルートでした。
そのほかにも、織田信長が千種越えの際に火縄銃で狙撃され暗殺されかけた事件があり、犯人の杉谷善住坊という人物が逃亡生活の中で隠れた岩などが今も残されています。
近世では鉱山の採掘が盛んで、明治期には一体の鉱山合わせて300人以上の労働者が働いていたそうで、街道沿いには向山鉱山(杉峠の向こうには御池鉱山)その住居跡(石垣)が今でも残されています。
今年最後であろう紅葉を楽しみながら山道を進む。
看板によると、この林道は大正期に整備しなおされており、大八車が行きかっていたというから道幅も割と広い。
桜地蔵尊で手を合わせる。
看板によると、いつどのようにしてここに祀られたかは定かではないそうです。千種街道を往来する人々の安全を願って置かれたのでしょうか?
現在のお堂は昭和61年のものですが、それ以前は大正9年に初めてお堂が設置されたのだとか。
かつてはお地蔵様の横に桜の木があった事から、桜地蔵尊と呼ばれていましたが、現在は植林の中。
現在は主に登山者を見守ってくださっています。もはや杉地蔵尊ですね。
川を渡る鉄橋にさしかかりました。朝は写真を撮るのを忘れてしまっていたのですが、渡ってすぐ左側の所に「タイジョウ」方面への分岐があります。右側には小屋?があります。
ここは古屋敷跡という所。かつて塩津々という集落があったのだそうです。
蓮如上人旧跡という所にやってきました。蓮如上人は親鸞が開いた浄土真宗を日本中に広め、後の日本で最もポピュラーな宗派へと導いた為「本願寺中興の祖」と言われています。僧のカリスマともいえる存在です。
急激に信者を増やした為、比叡山の天台宗の僧侶達は「蓮如パなくね?」という事で恐れをなし、本願寺を攻撃するようになったそうで、蓮如上人はこの地で雲隠れしていたそうです。
現在は登山者用の休憩小屋が設置してありました。
さすがにこの時期になると北風が冷たく、平らな道を歩いているだけでは体が温まらなかった為、ここでゆっくりと体を休めてからスタートしました。
この旧跡の先からようやく平な林道が終わり登りが始まります。
み、み、みて下さい。
誰だこんなおっかない橋を作ったのは~~!!!
申し訳程度のロープがなお怖い。こんなもん、ちょっとした拍子にガラガラと崩れてしまいそう。
旧跡から少し上った所からはシデの並木と呼ばれる古木地帯があります。
あちらこちらに味のある古木が見られます。
天然記念物にも指定されているそうです。
すごい角度で生えた木。
向山鉱山跡地にやってきました。
ここらは御池鉱山などと共に千種街道沿いに栄えた鉱山で、金・銀・鉛などといった鉱物を掘り出しており、このあたり一帯は300人ほどの鉱夫が働いていたそうです。
また、それらの家族もまた暮らしていたといい、こんな山の中ですが郵便局や小学校なども存在し、生活に必要な施設はそろっていたそうです。
過去の栄華はどこへやら、現在はかつて社宅があったであろう場所の石垣のみが残されています。
石垣と小さな階段などは確認できます。
コンクリート製の何か。
よく見ると茶碗が落ちていました。御池鉱山でも茶碗が落ちていましたが、木造の柱などは全てが朽ち果てても茶碗だけはずっとそのまま残っているのですね。
こちらは小さな取り皿のようなもの。
大きな石垣。この上は広く整地されてあり、大きな建物があったのでしょうか。
綺麗な沢を渡りながら杉峠をめざす。なだらかな坂で全く疲れません。
一反ぼうそうに到着。
インターネットの写真から、もう少し大きなものかと思っていましたが、どうやら枝が折れたり?切られたり?などしている様子。
このあたりも趣のある古木が並んでいました。
避難小屋(跡?)を超えれば杉峠はあと少し!
杉峠に到着!
4年ぶりの杉峠。枯れたような古木が一本無くなっていました。
ここを南側に登っていけば雨乞岳へ、北側に登っていけばイブネ・クラシなどへ行く事ができます。
いざ鈴鹿の秘境!イブネクラシのテーブルランドへ!
今回の目的地はイブネクラシなので、北側へ。遠くにイブネの山体が見えてきました。
さすがに尾根までくると完全に紅葉は終わっていますね。
その変わり、鈴鹿の晩秋の味のある風景を見ることが出来ました。
登り切った所が杉峠ノ頭(1121m)、ここから佐目峠までしばし緩い下りが続く。
タイジョウ・カクレグラ(水谷岳)方面への分岐。帰りはタイジョウ方面へ向かいます。
佐目峠を超えると正面にイブネの大きな台地になった山体が見えてきます。
いいやんいいやん!やっぱりこういう景色見れるから鈴鹿に外れはないね!
ちなみにこういった台地のイブネやクラシ、ほかにも御池岳や霊仙山などは山頂部分の台地は、大昔まだ鈴鹿山脈が形成される前の海底だった頃の様子を残しているのです。
今から1500万年ほど前には鈴鹿山脈や中部地方全域や日本の大部分は海の底にあり、浅い海に覆われていました。
今では日本は山岳大国ですが、この当時の日本にあたる部分は浸食された平坦な海底が広がっており、これを浸食平坦面と言います。このなだらかな海底が古代日本です。
鈴鹿山脈は100万年前~六甲変動のあった30万年頃に隆起して出来上がったとされており、かつて海の底だった証拠に、どの山も900~1200mほどと定高性を保っています。こういった地形を隆起準平原といいます。
鈴鹿山地はかつては一つの大きな高原でしたが、その後地形輪廻により谷が形成されて、それぞれ残った高い部分(ピーク)が現在の山となりました。
高さは同じくらいでもなだらかな山と急峻な山に分かれているのは岩石の違いで、このあたりは緑色岩や石灰岩からなる岩相でできており、浸食されにくく台地状に残っています。御池岳や霊仙山などもそれにあたります。対して御在所や鎌ヶ岳などは風化しやすい花崗岩からなる山なので急峻な山となっていますね。
イブネ・クラシも十分綺麗に隆起準平原が残っていると言えますが、最も綺麗に残っているのは御池岳で、石灰岩相の典型的なカルスト地形を形成しています。
このあたりがイブネの山頂台地。不思議光景が広がっています。
いまは苔が広がる高原地帯ですが、かつては人の背丈ほどの藪で覆われていて近づくこともできない山だったのだとか。
不思議な植物や苔が見られ、独特の雰囲気がまた秘境感を醸し出しています。
遠くには左から、御在所岳、鎌ヶ岳、雨乞岳が見えています。
のんびり撮影しながら歩き回りたかったのですが、なんしか風が強くてすごく寒い…。
イブネの山頂看板。申し訳程度のものです。どこが山頂という訳でもなくこの高原一体が山頂という扱いなのでしょう。
まるで桃源郷のような世界観…。
イブネ北端。ここから少し下り、登り返した所がクラシ山頂になります。
といってもほんの少し下って上るだけで、ほとんど同じ台地の中にあるような感じ。
なので「イブネクラシ」とセットで呼ばれているのでしょうね。
ちなみにここで恵那山や白山やという話をしていたら、富士山が見えていました。
以前雨乞岳から富士山をしっかり見ているので間違いなく、二度も見れるとはビックリでした。
天に向かってすすむ涼さん。この苔と岩の雰囲気がすごく好きでした。
そしてクラシに到着。
暗しの山頂はこんな感じ。何もなく展望もありません。ピークハントに来ただけという感じです。
クラシからイブネに帰る道。同じ道でも行きと帰りではまた風景が違って見えますね。
一面の苔の絨毯が太陽に照らされて蛍光に光っていてとても綺麗でした。
大台ヶ原のような倒木地帯。
イブネは中くらいの背の木が多く生えており、北風をうまくよけれる所で昼食をとりました。
今回のお昼はおにぎり2つと天ぷらそば。最高に美味しかった!
バリエーションルート「タイジョウ」経由で下山!
さて、桃源郷のようなイブネクラシを下山開始します。
先ほどの分岐に戻ってきて、今度はタイジョウ方面へ向かって下山します。
今まで歩いてきたルートがとても歩きやすかったのに比べ、タイジョウ方面は細尾根などもありルートも不明瞭な所もあって歩きにくかったです。
アップダウンが多くタイジョウまで時間がかかりましたが、写真の左上にぼんやりと見えている大きな山体が「タイジョウ」です。
タイジョウという山の名前ですが、一体どんな由来があって名付けられたのかとても気になりますね。
タイジョウ山頂。かなり広い山頂です。
レスキューの看板がありますが、気休め程度のもので、しっかりとルートを案内してくれる看板はありません。
ここからが分かりにくかったのですが、看板の裏の細尾根を下っていき、途中で別の尾根に取り継ぐという感じでした。
これ道なん?という感じでしたが、地図ではあってるので進む。途中にリボンもありました。
マップにはラインを引いていますが、まっすぐこの尾根を下ってしまうと遭難してしまうので注意です。
あんな緩やかなタイジョウの山頂だったのに、北側はこんなことになっていたんですね。
このあたりはタイジョウの岩石が長年崩れおちたのが溜まっているような感じで、幻想的な苔地帯になっていました。
古木なのか、ただならぬ雰囲気を醸し出した木です。
タイジョウを下ってきてP911のコルから谷へ下っていきます。
ほとんどだれも歩いていないのか、踏み後なんて一切なく、ただただ地図と周囲の地形を観察しながら下っていくような感じ。
所々にリボンはありましたが、遠くて確認しづらい所もありました。
なんじゃここは~!バリルートとは言え歩きにくすぎる!鈴鹿にこんな所があるとは驚きでした。
鈴鹿もまだまだ楽しめそうですね。
杉の植林地帯になったらあと少し!
千種街道に戻ってきました。
ここまでくれば一安心。あとは長い林道を再び歩いて戻るのみ!
朝はズラっと並んでいた車も、ほとんどなくなっていました。
タイジョウの尾根で少し時間がかかりすぎましたが、千種街道から杉峠、イブネクラシまでが早く着きすぎたので、下山時刻は予定とぴったり同じで帰る事ができました。
感想・まとめ
鈴鹿の奥座敷であり、不思議な名前をしているイブネクラシは、秘境と言われていますが登山者も多く、道も明瞭で歩きやすい山でした。
もともとは4年前の秋に雨乞岳からイブネクラシを見た時に気になっていて、いつか登ろうかな~程度に思っていたのですが、こんな素晴らしい所ならなんでもっと早く来なかったのだろうと悔しかったです笑
御池や霊仙山などといったテーブルランドのような地形で、イブネはさらに苔がとても綺麗で独特な空間に魅了されました。こちらもカルスト地形なのでしょうか。
イブネからの360度の展望はもちろん素晴らしかったのですが、今回も雨乞の時と同様、富士山が見れたのはラッキーでした。
次は銚子ヶ口や天狗堂に行ってみようかな。その前になんだかんだで冬の綿向山はまだ行ってないから行っておかないと!