東洋民俗博物館 – 愛すべきエロジジイの性コレクション
レジャー概要
東洋民俗博物館 – 愛すべきエロジジイの性コレクション
奈良市あやめ池のほとりにある東洋民俗博物館にやってきました。かつて存在したあやめ池遊園地の施設として開園しました。
東洋民族博物館は昭和3年5月の開館で、建物は古い洋館ですが、当時流行っていたアールデコ調で品を感じます。会館当時から改築せずそのまま使っているそうです。
あやめ池遊園地の閉園後は初代館長の「九十九黄人」氏個人に管理が移り、103歳で亡くなるまで運営されていました。現在は息子さんが定年退職後に運営を引き継ぎ運営されています。
この写真は博物館の初代館長「九十九黄人(つくも おうじん)」さん。どこかの神様のような容姿をしていますが、100歳の頃に撮影したものらしい。
このおじいちゃんは面白キャラクターが有名になり、TVにも何度か出ているのですが、TVでこのような名言を言っておられました。
「人間は62歳になったら性欲がだんだん衰えんねん。75になったらなくなんねん。それがわしは100でもまだあんねん」
さらに女性のアンダーヘアコレクターとしても知られており、650人分、約4000本もの陰毛をラッピングし、名前、職業、住所、最終日などと共に保管してあるのです。
そう、この黄人さんはとんでもエロジジイだったのです。
黄人という名は、館長さん(本名:九十九豊勝)のペンネームで、エロ男→エロマン→イエローマンを日本語にし、黄人と名乗るようになったそうです。
博物館の前にはこのような外人の銅像があります。館長の趣味なのかな?と思いましたが、この銅像の方はアメリカの人類学者フレデリック・スタール博士(御札博士)という人物。
黄人氏は独学で英語やドイツ語などを身に着けていた為、日本文化の研究のために来日したスタール博士の通訳兼助手に抜擢され、沖縄から北海道はアイヌ社会まで全国を共にしました。
黄人氏の本職は学校の先生(英語の先生)だったのですが、スタール博士が来日されると学校そっちのけでスタール博士の元へ飛んでいったそうで、何度か解雇され学校も転々とされたとか。
このスタール先生の没後、黄人氏は研究テーマを「性の民族」とし、世界中を単独で調査。この博物館にはその歳にこのエロおじいちゃんが集めた、変わった東洋の民族資料が展示されてあります。
長い前置きとなりましたが、さっそく館内に入っていきます。本来、予約が必要だったのですが、偶然他の来館者の方と時間が被り、館長さん(黄人さんのご子息)が居はったので予約無しで入れていただきました。
館内は入って左右の部屋に分かれており、所狭しと歴史的価値のある文化財が並べられています。館内は撮影OKですが、裏のエッチな部屋は撮影禁止。
入館料を支払うと、館長さんが館内を案内してくださいます。建物の説明から展示物の説明、また黄人氏の事まで。
この天下大将軍を書かれた不気味な木彫りの像。名前はチャンスンといい、韓国の伝統的な守護神の像なんです。
チャンスンはその威圧的?な形相が特徴で、不気味であるがどこか笑えるユーモラスな表情をしています。韓国の農村部などでよく見られ、怖い顔をしているのは村に鬼を近寄らせない意味が込められているそうです。(日本でいうお地蔵様のようなもの)
古代の男根崇拝に由来している説もあり、良く見るとまっすぐなものから、少しぐねったもの、反り返ったものも多くい。また多くは男女一対で建てられ、男には天下大将軍、女には地下大将軍という文字が掘られています。
船の上で性行為をする男女の木彫人形。
纏足。少し前にTVでよくやっていた中国の奇習ですね。
かつて中国では、女性は幼少期から足に布を任せて足を大きくならないようにするという風習がありました。
中国では古くから女性は足が小さい方が美しいと考えられてきたからです。纏足を施した女性特有の足の美しさ、ヨチヨチとした歩き方や仕草などを楽しんだと言われています。
また、纏足の素足を見せるのは恥部を見せるのと同じほど恥ずかしいものとされていて、纏足の女性は寝ても起きても靴を履いたままでした。かくれている部分を見たくなるのが人間、男性はその纏足の素足を見るとき最高に興奮したそうです。
また纏足は靴を常に履いている為、とても不潔でした。臭いもすごかったそうです。しかし、その臭いこそセクシーで良かったんですね~、纏足の靴にお酒を入れて飲むのが最高に粋だったんだとか。考えられないですね。
この靴は本物の纏足の靴だそうで、もしかしたら黄人氏は…!?
壁にかけられた大量の絵馬。黄人氏がスタール博士と日本を回った際に、日本各地の神社から集めた絵馬コレクションです。
右側二つは離婚祈願の絵馬。京都には安井金比羅宮という最強の縁切り神社がありますが、東京にも縁切りとして有名な「榎神社」という神社があります。
絵馬は「縁切り榎」の前で顔を背けた男女がイラストで描かれております。この榎神社におまいりし、榎の木の皮を剥いで煎じて飲ませると、その相手との縁が切れると信じられていました。
一番左の絵馬は女性がお茶碗を持っていて、その中にムカデが入っています。世の中を足が生えたように行き来するお金を表していて、金運が上がる絵馬なんだそうです。
心という時に鍵がかかっています。
「妻より他の女禁ず」と書かれています。浮気帽子の絵馬なんですね~
ここで館長さんからクイズがありました、これらはナニにつかうものでしょう~。
くるみ割り器や楽器として使うもの、アイヌのひげベラ、藁でできた精子みたいなものは、岡山の美作に伝わる嫁たたきという風習で使うものらしい。新婚の女性のお尻をこの精子みたいなわらで叩くと子供が沢山できると言い伝えられていたそうです。
この博物館の名物「ミイラのチンコ」何も隠す必要はない、そのままのネーミングが好印象です。
南米ペルーのリマ市にある博物館から、元館長の黄人氏にミイラが一体寄贈されたそうなのですが、こんな大きなミイラでもって帰れないと悩んでいたら、目の前にチンチンが…。「コレ持って帰るわい」言うて持ってたナイフでちんこを切って日本に持って帰ってきたのだという。
チンコとられてミイラも泣いている事でしょう。
その後ろには牛のチンチンと書かれています。めちゃめちゃデカイ。牛のちんちんは長くて中に鉄の棒を入れて杖として使ったのだそうです。
なぜかマノフィカの木の置物が。人指し指と中指のあいだから親指を突き出す握り方は女握りといい、女性器を意味します。イタリアでは悪魔祓いの動作として知られており、他人に向けると卑猥な嫌がらせ、侮辱の意味となります。
青い目の人形。1927年にアメリカから日本に両国親善を目的として送られた人形。奈良県には144体が寄贈されたそうですが、現存するのは五体のみだそうです。
天津泥人形。博多人形のモデルとなったそうですが、からくりが隠されています。お気づきでしょうか。
下にミラーが隠されており、人形の陰部が露わになっています。
蘇民将来と書かれた置物。蘇民将来とは人の名前なのだが、この人の伝説をご存知でしょうか?
昔むかし、どこかの神様が結婚をするためにたびに出ました。ところが日が暮れて困ってしまった為、付近で一番お金もちの巨旦将来の元へ訪れます。すると「うちは貧乏だから泊められないよ」と追い出されました。仕方なく歩いていると蘇民将来の家にたどり着いた。蘇民将来は「汚い所ですが…」と、栗飯を炊いてもてなしてくれた。その後、神様は無事に結婚に成功した。時がたち、再び蘇民将来の家に訪れた神様は、今後蘇民将来の子孫は疫病や厄災を免れる事を約束した。
ぱっと見、男根を連想する形をしているが、庶民の子孫繁栄の願いをお守り?にしたものだと言われています。黄人先生は、この蘇民将来の男根に似た置物がこけしになったんではないかと信じておられたそうです。
おそらく桃太郎の置物だと思うのですが…。結構ももがパカーンと割れて出てきたという印象があるのですが、結構キツキツですねwwももの身を掻き割って出てきています。
女性の性病や婦人病治癒の祈願。
お乳が出るように祈願したもの。絵馬に搾乳している女性が描かれています。
これらの展示品だけでも黄人先生の性に対する並々ならぬ情熱が伝わってくるのですが、研究のメインは裏の部屋なんですね~。とても残念ですが撮影禁止で写真はありません。
中へ入ると、裸の女性の写真や、絵、エログッズなどがたくさん。グッズの一部を紹介してもらいました。
「このマリア様をひっくり返してみて」と言われ、裏返すとチンチンになっていたり、タルに入った男性のタルを退けて上げると立派な一物が…プチ秘宝館のようでした。最近は女性の来館者が増えてるとの事で、女性はこういうのでとても喜ぶのだとか。「時代は変わりましたよ」と嬉しそうに話しておられました笑。
また性関係の本棚にはビッシリ。昔の女性用の性教育本や戦後のエロ本「あまとりあ」が全巻揃っていたり。黄人氏いわく「全巻揃っているのはここだけ」だそうで、色々な機関より譲りうけてほしいという依頼があったそうです。またエロ本といっても現在のようなエロ漫画のようなものではなく活字本です。性行為の体位の種類や、体位ごとの女性の声の違いを楽譜で表したものなど、今読んでもとてもユニークな内容が書かれていて、何冊か内容を紹介してもらいました。
ちなみに写真の椅子は黄人氏の奥さん(だったかな?)が愛用されていた椅子で、黄人氏と同じく100歳以上まで生きたそうで、この椅子に座ると100歳まで座れるのでどうぞ座って下さいと言って座らせてもらいました。昔の椅子なので座る所のバネの感じなどが特徴的です。
最後に外へ出ると、館内で説明してもらった蘇民将来とこけしが。言われると似てますね。そして男根にも。右のほうにある「吾唯足知(われただたるをしる)」。京都の龍安寺にありますね。「自分にとって何が必要で、不必要なのかを見極める事」の意味であると言われますが…。
黄人氏の場合は「舌吸足知(したすってたるをしる)」。さすが黄人氏である…。
感想・まとめ
東洋民族博物館は元館長の九十九黄人さんがスタール博士と共に日本を巡った時や、その後性についての研究で世界中を飛び回った時に集めた珍品の数々を展示しています。
黄人さんは絵に書いたようなエロじじいで、ご存命の時には黄人さんとデートをすると楽しいという噂が奈良の町に飛び交ったそうで、亡くなるまで若い女性とデートをしていたとか。今も若い女性が多く訪れ、黄人さんのグッズを喜んで見ているとの事で、亡くなってもなお女性を引きつける不思議な魅力があるんでしょう。