姉川発電所跡 – 大正建築のレンガ作り発電所跡
廃墟の情報
廢墟レポート vol.81:姉川発電所跡 Anegawa Power Station
こんにちはtamuraです。
今回やってきたのは滋賀県にある姉川発電所の跡。姉川は伊吹山地から琵琶湖に注ぐ一級河川で、姉川というと織田徳川軍と浅井朝倉軍が衝突した合戦の地としても知られています。
姉川発電所はその源流に近い所にあり、大正6年に竣工したレンガ作りの発電所で100年前の建築物という事になります。
近代建築で100年ものというと珍しくはありませんが、このように役目を終え人知れず森のなかに眠っている姿はロマンそのものです。
道路から近くにあるのですが、当時の敷地はスギ林となり道路からも上空写真からもよく確認できません。
寒波後の雪の時期という事もあり、雪用の登山服、靴にわかん装備で訪れました。傍からみたら完全に登山者。
当然、先客が通ったであろう足跡もなく、登山でもないのにラッセルする羽目になりました。
本当であれば新緑の時期に来たかったのですが、米原まで来たなら装備持ってとりあえず行ってみようかという事に。
雪と廃墟ってどうなんだろう…と思いましたが雪の積もったレンガ発電所もまた風情がありとても良かったです。でも新緑にまた来るで。
アーチの重なり合いがとても好み!。
この姉川発電所はかつて存在した近江水力電気株式会社(後に合併や解体後再建後に関電となる)により建設されました。昭和19年に廃止となったようですが、その後も小規模に稼働し、昭和22年頃に設備が撤去されたようです。
最大出力は615kw程だったようで、湖北周辺へ電力供給されていたようです。
昭和15年に同じ水系にこれより大きな伊吹発電所が建設された事により、昭和19年に廃止となりました。
都市部にあれば間違いなく近代建築遺産に登録されて丁重に保存されていたであろう美しい建物ですね。
実際に観光地化する案はあったようですが、周囲の状況から危険と判断され計画が頓挫したようですね。
ちなみに屋根は閉鎖から70年の月日のうちに腐り落ちたそうです。
屋根が腐り落ちて、整備されない中でもレンガってこれだけしっかり残ってるんやなーと関心しました。ヨーロッパなどの数百年前のレンガ建築が今でも残っているのもうなずけます。
大正ロマンという言葉がありますが、明治、大正期の発電所(発電所にかかわらず)はレンガ造りのものが多く残っています。
ここで日本の近代のレンガの歴史を遡ってみましょう。
1854年にアメリカ艦隊を率いたペリーが日本に現れ日米和親条約を交わし、開国を迫られ西洋の文化に触れた日本は、福沢諭吉の西洋事情に記されているように、欧米はありとあらゆるものが近代化が進んでいる事が分かり西洋の技術を多く取り入れるようになります。
レンガもその一つで、明治5年に東京の中心地丸の内、銀座、築地一帯が大火に飲み込まれ(銀座大火)一面焼け野原になると、明治新政府は銀座を耐火構造の西洋風の街路へと改造することとしました。
日本政府が復興の為に依頼したのは英国人技師トーマス・ウォートルスという人物で、彼の設計と当時の政府予算の27分の1という巨額の費用を費やし銀座は西洋風の街並みへと生まれ変わったのです。
その後、明治20年には埼玉県の深谷市に日本で最初の機械式レンガ工場で、次期一万円札の肖像である渋沢栄一らの手によって設立され、東京駅をはじめ明治~大正にかけての多くの近代建築にこの工場のレンガが利用されました。
しかし現在、日本に残るレンガ建築は言うほど多くはありません。アドルフ・ヒトラーが、ローマのコロセウムに感銘を受け、ナチスの政策の中に「廃墟価値論」を導入し、公的機関をレンガや石造りにしたように、レンガや石は永遠に残る可能性になりうる…。というのは日本には通用しませんでした。
日本にレンガが根付かなかった理由は二つあります。
一つはレンガは耐火性に優れているものの、当時の技術では地震に弱いという事。関東大震災では耐震性を考慮されていないレンガ造りの建物に被害が集中するなど甚大な被害が発生しました。
もう一つは日本は湿気大国であり、レンガは日本の風土に合わなかったという事です。
レンガは保水性が高く、湿気の多い場所ではカビが生え、生活に支障をきたすという理由で人気ではありませんでした。
それを防ぐために内側の壁に漆喰を塗るようになりましたが、それも効果がなかったといいます。
分かりやすい例を挙げれば、和歌山県の友ヶ島の掩蔽壕なんかはレンガ造りですが、中は火薬がしけらないよう漆喰(壁に塗ってある石灰)が塗られています。
実際に見に行ってみると、漆喰はもろくはがれている様子が見られます。
一箇所大きく開いている所もあります。
アーチ部に石灰らしきものが残っているのが分かります。
屋根が崩れて雨風にさらされている為、大部分がはがれているものの、この建物も当時内側は漆喰で覆われていたと思われます。
様々な理由で、レンガは定着せず日本におけるレンガ建築物は明治~大正期の西洋文化を取り入れた時代の象徴となりました。
※日本のレンガ建築物をもっと見たい方は「日本の最も美しい赤レンガの名建築」歴史的建物研究会 (著) がおすすめです。
当サイトで紹介している「神崎レンガホフマン式輪窯」の写真を提供させていただいており、P117に掲載されております。
アーチ窓から外の小さな小屋を眺める。ちょっとだけ顔を出してる感じが可愛らしい!
小さな小部屋を発見。調べてみるとどうやら電話ボックス的な電話室的な所でした。
最後に権田氏のベアブリック400を撮影させてもらって探索終了。
感想・まとめ
散策お疲れ様でした、雪がすごかったですね~!
まずはご紹介します、我々「わんぱく廃倶楽部」の新しいメンバー「つぼ」さんです~!
つぼと言います!廃墟大好きで、初めて本物の廃墟に行きとても感動しました!
これからよろしくお願いいたします!
つぼさん、よろしくおねがいしまス
初の新メンバーで嬉しいです~、俺らより写真撮影しててびっくりした笑
めっちゃ撮ったはりましたね笑
それくらいじゃないと僕らと一緒に廃墟巡れませんけどね笑
はい!!!!廃墟なんて行けるものじゃないと思ってたのでものすごく興奮しました!美しすぎた!
喜んでもらえてとても嬉しいです!散策大変でしたけどね笑
まだ雪がガッツリ積もっていたので、登山装備が無いと安全に散策できませんでしたね。
畑突っ切ってその先で川を渡るんですが、わかんがなかったらツボ足でしんどかった思います。
雪深かったです~、道走ってる車の人らから見たら登山者と勘違いされていたかも笑
ウェアーからリュックから登山用でしたからね笑 俺ら元々登山者軍団ですし。
道なりは短いんですが、進むのに時間がかかったというか…
でも廃墟はとても綺麗でしたね、レンガ作りの発電所がこんな森の中に残っているとは
綺麗すぎました!文化財になってないのがオカシイくらい!
文化財として保存…という話しも過去にあったそうですが、整備コストが嵩むなどから計画が頓挫したらしいです。
そのお陰で廃墟として楽しめたのですが。
そうですね。雪と廃墟という組み合わせも初めてでしたが、思ってたより綺麗でした。
やっぱ夏にもう一度行きたいですけどね笑
それは間違いない!でも雪も綺麗でした~!
窓がアーチ状になってたり、小さな電話室など可愛らしかったです。
レンガ建築というとオシャレで凝っているものも多いですけど、姉川発電所は無駄を省いたシンプルな設計でしたね。
窓はアーチ状になっていたり遊びもあるのですが、設計はまさに質実剛健で機能美な所もあり、さすが発電所だなと感じました。