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2020.05.21

舞鶴要塞・葦谷(あしだに)砲台跡 – 120年前のレンガ造りの弾薬庫

この廃墟について

葦谷砲台(あしだにほうだい)とは、京都府舞鶴市にある軍事施設跡。舞鶴要塞の遺構の一つで1900年(明治33年)に建設された。

終戦(昭和20年)に放棄されましたが、現在では日本遺産という制度で保護されており、映画などで使用される事もある。レンガ作りの弾薬庫跡は、モダンでノスタルジックな風景が残されている。



廢墟レポート vol.157:舞鶴要塞・葦谷砲台跡 Ashidani Battery Site

こんにちはたmです。

今回やってきたのは京都府舞鶴市にある葦谷砲台跡という所です。

1895年、日清戦争に勝利した日本は、次なる相手ロシアとの戦いに備えるべく1900年、舞鶴市に大日本帝国海軍 第四回軍区「舞鶴鎮守府」を設置しました。

その際に設置された砲台跡の一つがこの葦谷(あしだに)砲台跡になります。他にも、代表的な遺構は舞鶴レンガ倉庫(旧:舞鶴海軍兵器廠)も舞鶴鎮守府の遺構の一つです。

初代司令官として選ばれたのは海軍の英雄、東郷平八郎。

ちなみに東郷平八郎が、イギリスで食べたビーフシチューに感銘をうけ、軍艦の食事に取り入れたいと作らせた結果、肉じゃがが出来上がりました。当時の日本にはワインやデミグラス、バターが無かったので砂糖と醤油で代用し作った所、今でいう肉じゃがが出来上がったという事で、今では舞鶴市が肉じゃがの発祥地と言われるようになりました。

この砲台は1900年の舞鶴鎮守府の設置と共に建設された為、既に120年が経過しております。

砲台跡地と言えば、神奈川の猿島や、和歌山の友ヶ島などが有名ですが、このように扉が残されているのは珍しいと思い、ここはいつか行ってみたいと思っていました。

木製なのですが、それとは思えない重厚感があり、実際、動画で見てもらったら分かるように、かなり分厚く頑丈そうに作られています。

扉があるからか、比較的中は綺麗です。

120年たった今でも、比較的スムーズに開け閉めする事が出来てビックリしました。

こちらは横にあったまた別の弾薬庫。二つ連結するように入り口が作られており、左は大きな部屋があり、右側は写真で写ってる通りで、その奥は無く小さな部屋でした。

こちらはレンガや漆喰の経年劣化からか崩れ落ちておりました。

こちらは倉庫の上にある実際に砲台を設置していた台座でしょうか。

今では深い森に覆われ、当時の面影もありません。

高台には遠くを展望できる場所がありました。

東郷平八郎もここからの景色を見たんでしょうか。

感想・まとめ

という事で、今回、あしだに砲台跡地に兄弟で散策に行ってきました。弟とは登山に行く事はあるのですが、廃墟散策は2014年に行った奈良ドリームランド散策以来でした。

弟は仕事の都合でずっと家にこもりっきり(テレワーク)なので、久々の外出で気が晴れてくれたならいいですね。

Youtubeチャンネルが何日か前に100人を突破しとても嬉しく思っています。登録してくれた皆さま、コメントくれた皆さま、再生してくれた皆さま、本当にありがとうございます。

まだ慣れてなくて、表情が硬かったり声が小さかったり機材不足だったりですが、徐々に見やすい動画にしていければいいなと思います。

今まで、サイトで自分がみせたい部分のみを機械的に記事に書いて来ましたが、動画を通して、色々な面をさらけ出していければいいかなと思っています。今後とも、よろしくお願いいたします。


山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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