かつての楽園へ…愛宕山鉄道の廃線と山頂駅の廃墟
廃墟の情報
廢墟レポート vol.6:愛宕山ケーブル跡 Atago Cable line
京都盆地の北部にそびえる愛宕山に、かつて地上の楽園と呼ばれた娯楽施設とそこへ通じる索道(ケーブル)があった事をご存知でしょうか?
昭和4年に現在の京阪などが共同出資し、愛宕山に清滝から山頂駅へとつなぐ2,135mのケーブル(鋼索線)が建設されました。
2.13kmというのは今も日本で破られていない最長記録で、ゲーブル鉄道の限界と言われた2000mを超えたことが「東洋一のケーブル」と当時大きな話題になりました。
現在は全く面影はありませんが、阪急嵐山駅から清滝トンネルを通り愛宕山麓へ向かう路線(平坦線)と、愛宕山の麓(清滝川)から愛宕駅(山頂駅)をつなぐケーブルがありました。
つまり愛宕山は部活などで登らされる登山の山という印象ですが、かつては山頂駅まで京都駅や大阪駅から乗り継いで行けるような所だったんですね。心霊スポットとして有名な清滝トンネルが信号で交互通行なのは、トンネルは元々鉄道用のトンネルだったからなのです。
そういった愛宕山鉄道が開通したことに伴い、山頂駅周辺に愛宕山遊園地、愛宕ホテル、愛宕スキー場、山上テント村などが次々に建設さました。
特にスキー場はかつて関西で最大規模で、京阪神から気軽に来ることが出来るとして1シーズンに数万人ものスキー客が訪れるほどだったそうです。
こういった新しい娯楽施設の誕生に当時の京都日日新聞は「愛宕山もケーブルにより、地上の楽園になった」と報道しました。
しかしその後の大東亜戦争が悪化し、愛宕山ケーブルに戦時体制により不要不急線指定となり、鋼索線は廃止に追い込まれ、山頂の関連施設も廃止していきました。
同じ時期に不要不急線に指定された比叡山ケーブルや生駒ケーブルも運行を停止していますが、戦後すぐに復活を遂げ(比叡山は一部を除く)現在も営業しています。
1967年に復活の計画が発表されましたが頓挫し、愛宕山のケーブルは現在に至るまで復活する事はなく、歴史の闇に埋もれてしまいました。
※鳥越一朗さん著の麗しの愛宕山鉄道鋼索線を読んでから訪れてみると、より面白い散策が出来るかと思います。フィクションの小説ですが、愛宕山鉄道の詳細は事実に基づいたもので、細かな点まで書かれています。小説の内容も感動なので、資料として以上に物語もおすすめです。
敗戦後も復活の案があったのですが、戦後の世界恐慌によって企画は消滅し、幻の楽園となってしまいました。
ここに来るまでに通ってきた清滝トンネルは、鉄道廃止後に三菱製作所の航空機機体工場、第14工場として転用され、昭和20年から終戦までの間、航空機の排気弁を製造していました。
嵐電嵐山駅を起点に、現在の府道29号線(嵐山清滝線)を走っていました。昭和36年に現在のように車道として利用されるようなったそうです。
廃線のルートは愛宕山表参道の登山口のすぐ横にあり、登っていくと現在ではかつて線路が引いてあった土台が残っており、通行禁止となっています。
ルートはひたすら階段のような鋼索線土台と、6つのトンネルが続きます。トンネルは3号や5号など崩落して通行不可の所もあり、そういった所は巻きながら進んでいきます。
一号トンネルは崩落はしていないのですが、時代を感じさせますね。
第一~第六号トンネルまで存在し、3と5号が崩落しており通行できない為、巻き道で迂回が必要です。
登山をしている人はわかると思いますが、階段はあまり好きではありません。自分の一歩と階段のペースが違うので、それに合わせないといけないので、ひたすらこの階段も登るのもなかなか大変でした。
しかも高低差は638m!がっつりとした登山ですね。
毎年数万人のスキー客でにぎわったと言いますが、最盛期の利用者数(昭和4年/1929)でいうと18万人ほどだったようです。
3号トンネルは内部崩壊の為通行不可です。右から巻いてトンネルのむこうへ向かいます。
出口へやってきました。段々になっていて可愛いデザインですね。
そこからもずっと階段道を上っていきます。場所によっては急な所もあります。
ロープウェイの離合地点だけが複線となっています。
摩耶山や六甲山、比叡山などのロープウェイと同じように、一本の鉄線で二つの車体が繋がっており、一台目が始点にいれば、二代目は山頂駅につくようになっています。
その為、このように路線の中央付近に離合箇所を設けています。
山頂に近づくと柵が出てきました。周囲は急な坂道になっているので、脱線した時の滑落防止のためと思われます。
自然に飲み込まれてていい雰囲気。
登りきるとやっと山頂駅が姿を表しました!やっほー!コレがみたかったのだ~
登山口からここまでの時間は1時間半くらいでした。
正面から見るとこんな感じ。木に覆われていて紅葉でいい感じです!
老朽化が酷いですが、まだまだ人が入っても大丈夫な感じでした。
内部はコンクリートの基盤が残っているだけで、残留物もなにもありませんが、この時代のコンクリ建築物は今になってとても良い具合に崩壊していて、廃墟として一番好きです。
階段も可愛いな。
コツコツと階段を登れば足音が建物内に響き渡ります。
廃墟散策跡は愛宕山山頂と三角点、そして地蔵岳へ縦走するのでここでお昼休憩をしました。
かつての楽園の跡をじみじみと見学しながらバーナーでお湯を沸かしてカップ麺とコーヒーを飲む。
二回は駅員の休憩所か、客用の休憩室かはわかりませんが大きな一つの部屋になっていました。
窓から葉っぱを通して降り注ぐグリーンの光がとても綺麗。
山頂駅は地下はケーブルの駆動室が残っています。
モーターがあり二つの車両を動かしていました。
最後に何もない屋上を見に行って終わり。
さぁ、登山はここからが本番。地蔵岳PHと愛宕山三角点PHへ。
午後のあったかい西日に照らされながら、のんびり歩いていこう・・・。
感想・まとめ
愛宕山のケーブル跡ルートは昔から知っていましたが、実際に登ってみようと思ったのは大人になってからでした。
今では全く面影はありませんが、こうやって山の中にヒッソリと鉄道跡が残っているのはとても興味深いですね。