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2018.01.02

立川炭鉱跡

立川炭鉱跡

廃墟の情報

立川炭鉱跡
炭鉱跡
場所 佐賀県伊万里市
建築 1936年
廃墟化 1970年


廢墟レポート vol.77:立川炭鉱跡 Tatsukawa mine

 こんにちはtamuraです。

 今回やってきたのは佐賀県伊万里市にある立川炭鉱跡地です。

 大川野から西に車を走らせると、集落の途中に入り口があり石碑が立っていました。

 立川炭鉱は伊万里市にあった最後の鉱山と言われていて、地元の人に聞いてみるとよく事故(ガス爆発)が頻発した問題の鉱山だったそうです。

 昭和14年に27名死亡、昭和17年は50名死亡、昭和21年11名死亡・・・。これらの事故も当時は外部の漏洩を防ぐようにしていたというそうですから、これら以外にも多くの事故が発生していた事は想像がつきます。

 地元でもあまり評判の良くなかったところですから、あまり炭鉱に関する情報は調べても出てきません。建物の感想だけの簡単な記事になります。

 鉱山の地図がありましたが、大体の地図でよく分からりません。今回紹介するのは本坑にあった通風坑後などです。

 本坑までは小さな通路があり、そこから徒歩で進むと小さなコンクリート建物が姿を現します。

 中に入ってみる。なんの跡なんだろう。

 昭和初期に作られたであろう何かの建物。発電所や変電所といった類の建物によく似ていますが、実際はわかりません。

 何かの建物のすぐ横にはレンガ造りの通風坑が存在します。

 内部には蛇腹のチューブのような物が散乱していますが、コンクリートの質感がとても好き。

 中央に先端の尖った壁があり、通路が二つに分かれています。

 その先には丸く大きな穴が空いた神秘的なスペース。

 下は土で埋められていますが、かつてはこの下に坑道が繋がっていたのでしょう。

 こういったファンは坑内の酸素確保の為と、有毒ガスなどを薄める役割があるはずなのに、十分に機能していなかったのか、それともガスが多すぎたのでしょうか。

 円形の穴から光が差し込み、この空間だけ木が成長しているのは神秘的ですね。外からだと全くわからないし、完全に放置されているんだな。

 大きな丸の穴は当時のファンの台座ではないかと思われます。

 レンガに茂る苔や草もなんともいい感じ。

 建物から出て道を挟んで反対側にあったコンクリート遺物。

感想・まとめ

 伊万里市にあった炭鉱跡。現在はほとんど建物が残っていませんが、藪の中にはかつての炭鉱の遺物が所々に隠されています。大きな施設はありませんが、レンガ造りの通風坑は独特な雰囲気がとても神秘的でした。

山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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