京都の地名「上ル、下ル」について徹底解説
「上ル」や「下ル」とは?
ご存じのように京都市街地は南北に走る通り、東西に走る通りが無数に交差し、碁盤の目状に作られています。これを条坊制(じょうぼうせい)といい、原型は、鳴くよ(794年)ウグイス平安京の時代に区画整理されました。
京都の市街地の地名は「上ル」や「下ル」、「西入ル」、「東入ル」といった特殊な地名の表記があって京都以外の人からはちょっと意味が分からないと言われる事があります。
京都は条坊制による弊害で町の形成、町名が付くという事が遅れ、日本の他の都市と比べ「町」が細分化されて町名が桁違いに多い特徴があります。それら町名がどこにあるのかをす直ぐに判断できるようにしたのが「上ル下ル」制度です。
難しい事でもありません。ただしちゃんと理解しようとすると複雑です。このページを読むだけで日本全国の方が理解できるように徹底解説しようと思います。
「上ル」「下ル」「西入ル」「東入ル」の読み方
上ル…あがる
下ル…さがる
西入ル…にしいる
東入る…ひがしいる
と読みます。書き方は「上ル」などカタカナでもOKですが正しくは「上る」が正しいそうです。住所を書くときは上る、下るはそのままですが、西入るは西入、東入るは東入と「ル」を書かない事もあります。
由来と意味
意味はいたって単純です。
「上ル」というのは北に行く。という意味、「下ル」は南に行く。西入ルは西に、東入ルは東へ行く事を指します。
京都は碁盤の目に町づくりされている為このような言い方がされます。御所(天皇)に向かって南北の通りを北に向かう「上る」、御所から南北の通りを南に遠ざかる事を下るといった所からきています。
御所を中心に考えられた言葉ですが、現在は御所より北まで町が広がっております。御所より北側にある町でも、北へ行く事を上る、南は下るといいます。現代では御所関係なく、市内では北=上る、南=下るといった意味で使われています。
住所表記による使われ方
京都で日常生活で上る下るで道を覚えたり案内するだけではなく、住所にも上ル下ルで表記されます。
例えば京都市役所の住所は「京都市中京区”寺町通御池上る“上本能寺前町488番地」となっています。ようは「最寄りの交差点からの方角」を自分の住所に組み込ませ分かりやすく表記します。字で説明されてもパッとこないと思うので、以下の図をご覧ください。
下手な図で申し訳ないですが東西の通りが2本。小さい通り「三条」と大きい通り「四条通」。南北の通りが「烏丸通」。それらの交差点が交わる「烏丸三条交差点」と「四条烏丸交差点」、そしてA~Eの5件のお宅があるとします。
A地点 – 烏丸通三条上る○○町
B地点 – 三条通烏丸東入○○町
C地点 – 三条通り烏丸西入○○町
E地点 – 入り口の場所による
分かりやすく最寄りの交差点からと書きましたが、「烏丸通四条下る○○町」があるとしてその町はそれでひとくくりとなり「○○通り○○」という住所はその町によって決まっている為、例えば○○町が南の通りの方まで広がっていて南の通りからの方が近い家でも「烏丸通四条下る○○町」という住所になります。
(※たとえとして四条通、烏丸通、三条通りを出しましたが、実際のその場所と上の説明は関係ありません。)
おまけですが、最初の京都市役所の住所について、京都市役所は上の写真のように、河原町通と御池通りに面しており、「河原町通御池上る」の方が分かりやすいのでは?とも思います。
こういう風に東西南北の通りで別れる区画ごとに町名がついている訳ではなく…。
実際は京都の市内の住所を見ていると、町の分け方でこういうのが目立ちます(全てではありません)。
東西や南北の通りを挟んで向い合わせとなる家同士が同じ町を形成しています。
上の地図の場合、観音町は二条通を挟んだ向かい通しが町を形成しており、杉屋町は堺町通りを挟んで町を作っています。このときどの通りを挟んでいるかで西入ル、東入ルor上ル下ル表記になるのかが変わってきます。観音町は西入東入タイプの町、杉屋町は上ル下ルタイプの町となります。
観音町は、二条通がメインの通りで東西は高倉通と堺町通、柳馬場通で挟まれています。「二条通高倉東入ル観音町」「二条通堺町西入ル(東入ル)観音町」「二条通柳馬場西入ル観音町」のどれかといった表記になります。最も近い南北の通りから西入東入となりますが、どの通りから西入か東入になるかは家によって異なります。そのへんは昔から使われてる住所をそれぞれの家で使っていると思うので、これといった決まりは無く曖昧やと思われます。まぁ先祖が決めたって所ですかね。
市役所の場合は元々、寺町通を中心とした、押小路通りと御池通間にある町だった上本能寺町という町の大部分を使い、押小路通、寺町通、河原町通、御池通に囲まれた一区画に近代以降に建てられた為、河原町通御池上るに見えてもおかしくないように感じます。
大きな建物の多い現代では、ホテルやデパート、大型マンションなどこのような建て方がされてる場合も多く、どっちの道にも面しているのに…とややこしく感じる要因になってるとおもいます。昔の人の都合と、現代人の都合が入り混じっている状態なんですね。
京都の住所を省略して書く場合の注意
京都の町の構成をわかってもらった所で、京都長ったらしい住所を省略する場合について説明したいと思います。
たとえばですが京都市役所に手紙を送りたいとします。京都市の住所は
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
という住所です。長ったらしい面倒くさいですね。記事のどこかにも書いたとおり、この住所表記の構成は
京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地
となります。中京区が行政区、寺町通御池上るは寺町通りを御池通から上がった所にある町ですよという意味。上本能寺前町が町名。488が地番です。
上るとか下るとか無くても送れるんです。上るを抜いて、京都府京都市を「京」と表記し「京・中京区上本能寺前町488」でOKです。これが最短表記です。(京・○○区は中高年以上や看板などで使われます)
ただ、落とし穴があります。京都には同じ区内に同じ町名がある場合が結構あります。例として「京都市上京区今出川町」という住所は違う場所に2つあります。これらを区分しているのが「上る下る」と「郵便番号」です。郵便番号があっていれば大丈夫ですが、郵便屋としてもややこしい問題なのです。
この場合は「京都市上京区今出川町(元誓願寺通)」「京都市上京区今出川町(今出川通)」と表記すれば、それぞれがどちらの今出川町なのか判別する事ができます。
この場合の住所を書くときの例は「京都府京都市上京区元誓願寺通浄福寺西入ル今出川町100番地」という住所があるとして、この場合の省略方法は「京都市上京区今出川町100(元誓願寺通)」となります。
カッコに入る通り名については、行政区の直後にくる通り名となります。上の住所の場合は「元誓願寺通浄福寺西入ル」とは元誓願寺通を浄福寺から西に行くというコトなので、元誓願寺通を南北で挟むように町があります。その為、メインとなる通りは元誓願寺通となり、メインとなる通りをカッコの中に書く必要があります。「今出川通室町東入」の場合はカッコ内に入るのは(今出川通)となります。
大字を含む住所は省略不可能
京都市内でも北は今出川・北大路、東は東大路、西は大宮通り、南は京都駅の中、いわゆる洛中と東山区で「上る下る」表記がされています。それの外はそういう表記はされません。例として中京区の西部分の壬生(みぶ)と言われる地域では大字の壬生を冠称した「中京区壬生○○町」といった地名となっています。京都市11区のうち、右京区(嵐山・仁和寺など)、左京区(一乗寺など)、北区(紫野など)、南区(吉祥院、久世など)、伏見区(横大路・醍醐など)、山科区(御陵など)、西京区(桂・千代原など)の7区も同じように大字+地名という表記方法になっています。
例えば、左京区役所の住所は「京都府京都市左京区松ケ崎堂ノ上町7番地2」となっています。通り名は入っておらず、松ヶ崎が大字、堂ノ上町が町名となっています。「松ヶ崎堂ノ上町」はワンセットなので省略は出来ません。
まとめ
京都の人は会話では市街地以外でも上る下るを使用します。例えば西大路五条などは西院高田町といい通りの名で表記はしませんが、日常会話で西大路五条を南へ向かう時には「西大路五条を下がって~」などと言います。細い何という名前の道か分からない所や住宅街の路地でも北に行く時は「上る」、南は「下る」と言います。
よく色々なサイトで京都で道を聞くと「東は東入る」「西は西入る」というと書いていますが、西入ル、東入ルは住所以外ではあまり聞きません。実際は「上る」「下る」という言い方は日常的に使用されますが、「西入る東入る」はあまり言いません。実際では「西に行って」「東に行くと」などという言い方が多いです。(京都でも西京区や、南区久世、伏見区、山科区などではそういう言い方はあまり一般的ではありません)