TOP-image
2016.11.01

かつての京の処刑所「六条河原・三条河原」

レジャー概要

六条河原/三条河原
京都市中京区
MAP:京都府京都市下京区富小路六条上

かつての京の処刑所「六条河原・三条河原」

 六条河原や、現在は人気の観光地となっている三条河原は、京に朝廷の置かれた平安時代から、首都が東京に移る(正確には明治初期)まで政治犯のための処刑場が存在しました。主に六条河原で処刑を執行し、三条河原に獄門台と呼ばれる首を晒す台で見せしめを行いました。権力に逆らうとこうなるという見せしめの為、人の往来の多い場所で行う必要があり、なおかつ処刑後の処理の為に河原が選ばれました。

 また三条では、豊臣秀吉から謀反を疑われた秀次が1595年7月15日、河原で切腹を命じられ秀次につかえていた不破伴作、山田三十郎ら5人もまた自害した。秀次の首は伏見で首実検後、見せしの為、三条河原で梟首された。その後、秀次の首の埋葬と共にとらえられた30人余りの秀次の妻妾、子供、幼児までが共に埋められ、「秀次悪逆塚」と書かれた塚が建てられた。

 また、安土桃山時代の盗賊・石川五右衛門も釜茹での刑になったという土地でもあります。

現在の六条河原/三条河原周辺


 処刑場のあった六条の鴨川右岸(西側)から鴨川を撮影。現在は整備されており、当時の面影は一切ない。


 こちらは正面橋。正面橋~五条大橋付近が処刑場だったと言われています。


 蓮光寺。六条河原で処刑された長宗我部盛親の墓所です。


 お寺・駒止地蔵についての説明。


 分かりやすく場所案内の看板が立てられています。


 こちらが長宗我部盛親のお墓。


 長宗我部盛親とこのお寺との関係。


 こちらは三条河原。この辺りは私もよくゴーゴーカレを食べに来たり、木屋町ではご飯を食べに来たりしますw若者が多く集まっている場所で、三条河原は待ち合わせ場所になっていたりデートや地元民の散歩道になっていたり、川床があり京都らしさを感じる為観光客が集まっていたりなど、人気のスポットですが、この場所こそ見せしめの為の首あかしの場所として数多くの罪人の首があかされた場所でした。江戸時代の若者にとって「心霊スポット」であったそうです。当時は今のように川ぎりぎりまで家などは建っておらず、現在の綺麗な公園になったのは近年になってからの事。昔は現在の高瀬川付近までの川幅があり、現在の木屋町・写真を撮った場所などは鴨川の中洲だったそうです。


 そう考えると鴨川ってかなり川幅狭められたんやなぁ。。。この地は大泥棒 石川五右衛門が釜ゆでの刑に処された場所としても有名。


 上記で説明した豊臣秀次の塚がある瑞泉寺(ずいせんじ)。


 塚が建てられた後は高瀬川の開削工事で発掘されるまで場所が分からなくなるほど荒れた土地だったそうです。


 こちらが秀次の塚。お盆という事もありお線香があげられていました。


 鴨川が昔、高瀬川まで広がっていた事が書かれています。鴨川の西の筋の一つを鴨川運河・高瀬川として開削工事し、現在の木屋町通りは400年前の開削工事で埋め立て地となった際にできた通りで川の東側(有名な先斗町など)は鴨川を狭めて作った埋立地という事なんですね。そして現在の河原町通あたりまで河原は広くあったそうで、河原町通の西にある新京極あたりが京の果て、京と外界の境目だったという事です。なので現在の河原に行っても平安時代には鴨川のど真ん中ですし、現在の河原と当時の河原では大きな差があり、いかに街並みが変化したかが分かります。







古都コトきょーと