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2013.12.04

廃村八丁 - 京都北山の奥地にある廃村跡

廃村八丁

レジャー概要

京都北山 品谷山
標高 881m
無積雪期・周回縦走
天気 晴れ
コースタイム(CT)
9:10
菅原
9:51
ダンノ峠
10:41
品谷山
10:59
品谷峠
11:30
廃村八丁
12:50
刑部谷
13:50
同支社大研究室
14:07
ダンノ峠
14:30
菅原

時間:5時間
歩行距離:13km
標高差:400m

メンバー

tamura

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品谷山経由で廃村八丁へ向かう

 朝7時半頃。平岡八幡のサンクスで集合し、162経由で花脊・広河原菅原町の菅原集落を目指す。9時ちょうどか少し前に到着し、登山着などを来て準備。菅原の温度は-2~-3度くらい。とりあえず北山という事で冬やけど念の為鈴を鳴らしながら行きます。何があるか分からないのでビバーク用のシェルターなども持っていきます。
 そして今回の目的地は「廃村八丁」という京都北山の奥深くにあった年百年前の村です。昭和初期に住むには不便という理由で廃村になりました。京都で山やってる人なら一度は聞いた事のあるミステリアススポットというか、子供のような心もってはる人やったらこういうシチュエーションはググッと惹かれるものがあるのではないでしょうか。ちなみに京都市より福井県のほうが近いような所にあり、ほぼ南丹との境。京都市内から片道60kmくらい走らなければいけません。まぁでも廃村八丁も京都市内なんですが。
 ちなみにバス停の菅原停留所はこんな感じ。
 さて行きますか~と進むと早速道がえぐれて通れない。この間の台風あっちゃこちゃに影響しとるんやなぁと感心…
 申し訳程度の橋がかかってました。
 林道を上がっていくと、取りつきがあります。赤のテープでベタベタベタ~~~貼ったあるのですぐ分かると思います。無視してまっすぐ行っても行けるはずです。
 しょっぱな尾根にそって急登。
 ダンノ峠のプレートがありますので、そこを下ってまた上がるとダンノ峠。
 ダンノ峠の雰囲気。菅原・廃村八丁というのはありますが、品谷山という看板はここにはありませんでした。ダンノ峠上がってすぐ右側にピークへ上がっていくトレースと、美山トレイルのテープが張ってあるのでそちらへ上がっていきます。
 ここまで来ると、うわー北山らしい道やなぁ~って感じ。
 佐々里峠からの出会いの場所。
 尾根に沿って進むと右側に品谷山手前のピークが見えてきました。写真を撮影した地点から見えてる手前のピークの倍くらいが品谷山の距離です。
 品谷山到着。うわ~なんかうれしいなぁ。というのもこの場所は北山最深部に位置する山で、あまり人の来ることのない山。
 少し下ってから品谷山を望む。
 下った場所に、品谷峠ではありませんという看板が。間違える人が多いんでしょうね。サっていうサインあちこちにありましたが誰のサインなんやろ?
 もう一つピークを越えて本物の品谷峠。ここを左に下っていきます。
 こんな感じの植林された薄暗い林を下っていきます。
 下りきると沢へ出ます。沢には看板もたってます。沢の音が心地いい。
 心地よい沢筋を下っていきます。沢の右側、左側をいったりきたりしながら先へ進みます。
 幅の広い所にはしょっぼいしょぼい橋が。
 今回ご一緒した徘徊夜景の管理人さんのひでぶ~さんです。僕が京都の夜景を始めるきっかけになった方です。ちなみに写真の世を忍ぶ仮の姿ではバランスがうまくとれないのだそうです。
 かなり下ってきました。人もいないし気持ちいい。この谷をスモモ谷というそうです。
 建物が立ってた後の石組みを発見。八丁までもう少し。
 この辺りの木は現在も管理された植林なのだろうか?
 石組みが増えてきました。八丁を近くに感じます。
 石組みの中はこんな感じ。
 あたり一面に広がっています。なんの跡なんでしょうか。
 到着です。廃村八丁、元の名を弓削八丁。昭和初期までは八丁集落という村があったのですが、現在は残された多くの石組みとこの三角小屋と呼ばれる建物しか残っていません。標高600m程度ですが、周囲は山で囲まれ深い山の中に位置します。廃村直前の住所は「京都府北桑田郡弓削村小字八丁○○番」といった感じだったそうです。弓削は現在の右京区京北の地名の一部なんですが、現在の八丁の住所は「京都府京都市右京区京北大野町正木」になります。ちなみに5戸が住んでいたというが「本田家」「弓下家」「段下家」など。それ以上はわかりませんでした。また学校と職員用の住居もあったそうです。
 三角小屋は八丁小屋というそうです。ん?…佐野?「12月8日に入ります。佐野」という謎のメモが残されています。あれ…品谷峠のサって佐野さんか~!という事は村長は佐野さん?。せっかく会えるかなぁと思ったんですが、村長さんは居はらへんみたいです。
 八丁の会の上に(サ)というサインがあります。登山道に会ったサは字とかみても間違いなく佐野さんやな。
 簡単な登山道の図。
 「八丁山は、明治11年6月最終的に上弓削村と佐々里村との境界が決定するまで実に500年近い争いの歴史があった。1682年公儀(公儀:この場合は江戸幕府)の御留山(御留山:幕府による一般市民立ち入り禁止の山域)として立ち入りが禁止された。元禄14年(1701年)周山村吉太夫の請負山となり上弓削から3名と広河原村から2人が炭焼きを職とし1町5反3畝の新畑を開き住居、1743年上弓削山の請負山となり5戸の者も山番として定住してきたが、明治維新になって佐々里村から八丁山払下げ願いが出されこれを聞いた上弓削村も直ちに払下げと嘆願した。山番5戸を見方にした上弓削村領と決め和済が成立した。明治33年には博習校の分教場も設けられ8人の児童に先生一人が教鞭をとった。昭和8年の冬大雪に遭って食料が欠乏し病人が出ても医者の便もなく、さんざんな目にあった所から村あげて山をあとに平地にさがり、昭和11年に廃村となった。」
 と書かれています。餓死者がでるほどの大雪で済むのも難儀した理由も分かります。。。こんな山の奥地での暮らしは大変やったでしょうね~。万が一今の時代に廃村八丁…いや、ホトケ谷とか佐々里峠に住むとしてもそれだけで食糧調達等大変な事ですからね…。そもそも500年争ったというのが凄い。
 とりあえずゆっくり見学は後にして食事をとります。ひでぶ~さんは世を忍ぶ仮の姿やとご飯たべられないんだそうで、いつもの姿に戻っていました。
 今回のお昼はカップヌードルとコーヒーです。そんな事より12月だというのにポカポカ陽気で暖かい。ひでぶ~さんどら焼きありがとうございました!肉厚で美味しかったです!ソトバ山か刑部谷どちらかで菅原に帰る予定やったのですが、ここでひでぶ~さんにどうします~と相談し刑部から帰る事にしました。
 食事をとった後、ゆっくり村内を観光します。近くを流れる沢はとてもきれい。ここだけ流れがゆるやかなので汚く見えますが、ヤマメが泳いでるほど綺麗でしたよ。
 八丁小屋のとなりには火熾し場っぽいがありました。あと所々にたき火の跡のような炭の落ちてる所があるのですが、100年前の炭焚きの職の落とした炭なんだそうな。
 こっそり八丁小屋の中をのぞいてみる。怪しいものがないかと思いましたが、中は段ボールや生活用品などがバラバラにおいてありました。
 渡れそうな所があったのでわたって奥へ行ってみることに。
 渡るとすぐ祠?がありました。
 バラバラになった元建物の残骸も残っていました。これは何の跡?家で調べると京大小屋と呼ばれる小屋やったそうです。
 いつのかなぁと思っていろいろ見てましたが1990年代のものが多かったです。
 最後に写真を撮って刑部谷の方から帰る事に。
 さっき下ってきた沢の隣の沢(刑部の沢)ですが、ここを上がっていきます。
 ここもまぁ右岸左岸をいったりきたりこんなトラロープもはってあり渡らされたり…。
 四朗五朗峠から同志社大学の研究所へ向かうのと、刑部谷の滝から同大研究所へ向かうのとの分岐です。今回は滝をみていきたいので滝方面から向かいます。
 ちょっと沢が深くなってる所も飛び越えていきます。
 きたーこれが刑部滝かな?2回クロスする水がカッコいい。
 トラロープ沿いに坂を上がっていきます。
 危なっかしい橋がありましたが以外と頑丈。
 クロスする滝に対し、いくつもの水の筋のある滝。こちらの方がイイ感じでした。
 イイ感じの滝がある場所の名前が奈良谷という名前の地名でした。
 ふと見上げると上に大きな穴が。ガレってる坂で面倒でしたが気になるので上がってみることに。
 何もない…。でも足跡が結構あります。皆考えることは一緒か。
 沢も来るところまで来て、ここで直登しなければならない。
 これを登るのか…。
 ひでぶ~さんが世を忍ぶ仮の姿では坂がきついので…いつもの姿に戻る準備をしてます。
 普段の姿に戻り楽勝で急登をのぼるひでぶ~さん。(そろそろひでぶ~さんに怒られるかも…)
 さきほどの急登をTOPに出て右へ下っていくと、同大の研究所付近へ降りてきます。ここで四朗だの五朗だの峠からのルートと合流。
 こちらが同大の研究所みたいです。立ち入り禁止。。。
 めちゃくちゃ大木が腐ってもなおその場にたたずんでいました。
 しかし今日は雨の予報でしたがやや晴れてよかったなぁ。最後のダンノ峠までの歩きやすい林。
 ダンノ峠にでると20分もしないほどで駐車していた場所にもどりました。廃村八丁はずっと前から行きたい行きたいと考えていた場所やったのでいい機会でした。沢歩きも楽しく、品谷山のピークハント、1年半ぶりにひでぶ~さんと色々お話できたので大満足の一日でした。

感想・まとめ

廃村八丁を見に行く目的で品谷をぐるっと回って行ってきました。

廃村が昭和初期という事でほぼ何も残っておらず、現在残るのは廃村後に建てられた三角小屋や、当時の祠や家の石垣のみになっていますが、確かにここに人が住んでいたんだという感じがある不思議な空間でした。

行ってみると山の中の中にあり、こんな所によく人が住んでいるなと思うほどです。今はハイキングコースとなっていますが、迷いやすい所もありますので行かれる方は経験者と同行するのをお勧めします。


古都コトきょーとの管理人について
tamura
平成3年生まれ、京都在住のアウトドア好き。趣味は登山/夜景/旅/スキー/キャンプ/Web制作など。Olympusユーザー。インコなど鳥が大好き。夜景山岳会所属。美しい所か人の居ない所に出没します。

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