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2013.05.17

京都の三大風葬地「化野」「鳥部野」「蓮台野」

レジャー概要

京都三大風葬地
京都府京都市

平安時代の葬儀

平安時代の京都では亡くなった方は洛外へ運び野ざらしにし風葬(遺体を埋葬せずに風にさらし風化を待つ)を行っていました。

平安時代は仏教の影響で身分の高い人物は火葬を行っていたそうですが(後冷泉天皇火葬塚、近衛天皇火葬塚など)、火葬には木材が必要であり庶民は最も経済的で楽な風葬が一般的でした。

その風葬の地として有名だったのが嵐山の北にある化野、東山の鳥部野、船岡山の北西一帯の蓮台野(紫野)という地区でした。

1、化野(あだしの)


京都嵐山の清滝道を上っていくと竹林がある。はるか昔、平安時代は清滝地区手前にある嵯峨鳥居本という地区は旧名「化野」と呼ばれる所が当時の風葬の地の一つでした。

化野は「あだし の」と読み、あだしは古語で「悲しい」「はかない」という意味があり、「あだしなる野辺」と呼ばれていたものが後に化野と呼ばれるようになったと云われています。

平安初期の811年(弘仁)真言宗の開祖・三筆の一人である空海が疫病が流行っていた都を訪れた際人々に土葬を教えました。化野にある無数にある野ざらしにされた遺体を哀れに思い、また疫病の発生を抑える為に遺体、遺骨を埋葬しその上に1000体の石仏と堂を建て、五智如来寺と称したのが始まりと言われています。

鎌倉時代の徒然草に鳥部野と並び化野が人生の無常をあらわす枕詞に使われております。

あだし野の露消ゆるときなく」=化野の石仏には常に露が滴り
鳥部山の煙立ち去らで」=鳥部野の山では煙が消える事がない
住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。」=人間が永遠に生きるものだとしたら、いかに世の中はつまらないものだろう
世は定めなきこそいみじけれ。」=この世は無常であるからこそ美しい

化野や鳥部野を見る通りこの世は無常である、時は流れるしこの先何があるかわからない。だからこそ世の中は美しいのだ!って事ですね。いいですよね~。

このお寺、当初は真言宗でしたが鎌倉時代の初期に法然により浄土宗に改められ、いつも「南無阿弥陀仏」と唱えられていた事から念仏寺と呼ばれるようになりました。

今では境内に8000体もの石仏が並んでおり毎年お盆は千灯供養が行われ、国内外の参拝者、メディアなどが殺到し、西院の河原を現した無数のの石仏にろうそくがゆらぐ姿は京の夏の風物詩となっています。

2、鳥部野(とりべの)


京都から山科大津へ向かう際に五条坂を上がっていくと左手に大きな墓地が見えます。かなり大きい墓地で子供の頃からちょっと不気味に思っていたのだが、その墓地一体は平安時代は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる、化野、蓮台野と並ぶ京都三大風葬地でした。当時庶民がお墓に埋葬されるという事はなく、死者は木に吊るしその肉を鳥に喰らわせる鳥葬・風葬を行っていました。「鳥」という字がついているのは鳥葬の地、「野」というの野原、場所を意味しました。

化野の記事でも書いたように徒然草の七段でもここが火葬の地であった事が書かれています。

(※徒然草は鎌倉時代でありそのころには火葬が一般的になっていました。)

今は京都一の観光名所となっている清水寺もその鳥辺野という風葬の地にあたる地で、清水寺は宝亀9年(778年)それらの霊を供養する為に音羽の滝の近くに社を建てたのが始まりという説もあります。本殿が高い所にあるのは、死者の匂いがあまりにも強い為であったといわれています。また「清水の舞台」が突き出しているのは死体を投げ捨てるためだったという説もあります。

五条より北は主に庶民の葬地でありこのように広大な墓地があります。上の写真は東大谷祖廟(清水寺のすぐ南側にある墓地)のお盆に開催される万灯会です。

3、蓮台野(れんだいの)


紫野という地名の由来は万葉集の奈良時代、この地は天皇や貴族の薬草園、狩地だったそうで、生薬や染料に使う貴重な紫草が生えていた事からその名がついています。

京都の北大路に船岡山公園という結構大きな丘のような公園があるが、その一体が紫野と呼ばれる地区で、その中でも船岡山の北西から紙屋川にかけての地区が蓮台野と呼ばれ京都の三大風葬地の一つでした。

紫野下御輿町にある後冷泉天皇火葬塚や、紫野花ノ坊町にある近衛天皇火葬塚などが残っており、葬送地だったころの面影を残しています。

千本通りはその蓮台野へ死者を運ぶ道であった為、通りに沿って千本の卒塔婆(そとば)が立ち並んでいた事から千本通りと称されるようになりました。そとばとは、追善供養のために文字を書き、墓の脇に立てる塔の形をした木片のことをいいます。

千本通を上ると、船岡山の手前に「閻魔前町(えんままえちょう)」という地名があります。これはあの世の入口、閻魔様の住む場所としてつけられた地名だそうで、閻魔前町が紫野への出口であり、平安京への入り口だったそうです。

そしてその閻魔前町を越えそのまま千本を上ると蓮台野にまっすぐ続いています。旭丘中学校あたりは紫野東蓮台野町という住所で今でも地名として残っています。

 写真はイメージです。当時の風葬地周辺である紫野蓮台野町にありますが西向寺がふう葬地跡というわけではありません。


古都コトきょーとの管理人について
tamura
平成3年生まれ、京都在住のアウトドア好き。趣味は登山/夜景/旅/スキー/キャンプ/Web制作など。Olympusユーザー。インコなど鳥が大好き。夜景山岳会所属。美しい所か人の居ない所に出没します。

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