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2018.11.18

花背スキー場跡 - 京都のレジャー産業を牽引した人気スキー場跡地

廃墟の情報

花背スキー場跡
スキー場跡
場所 京都市
開業 1929年
廃墟化 1990年

廢墟レポート vol.111:花背スキー場跡 Hanase Ski resort

 こんにちはtamuraです!

 京都、花背の別所にかつて存在した「花背スキー場」跡というところにやってきました。

 関西百名山の雲取山に登ったときに、来たことがあったんですがその時は気にもとめておらず後で廃墟という事を知ったので改めて行って来ました。

 1929年にオープンしたこの花背スキー場は日本で三番目に古いスキー場だったそうで、最盛期には1シーズン5万人、一日に多いときは3500人のスキーヤーが訪れたという大きなスキー場だったようです。

 所が1980年台に入ると、暖冬が続き酷いときには1シーズン10日前後しかオープンできないという年が続き、1989年のオープンを最後に1990年に廃業となりました。

 秋の紅葉シーズン、スキー場跡はススキが広がるのどかな高原地帯になっていました。

 現在もリフトの設備が一部残っています。

 リフトの折返装置。

 リフトの制御室内部。黄色く塗られており、一通りの設備がそのままに残っています。

 リフトの制御盤。

 こちらもリフトの設備でしょうか。

 BORERというドイツのメーカーのようです。現在も存在していました。

 スキー場のゲストハウス。一回は休憩所になっており二階はレストランになっていたようです。

 花背スキーヤーズ ハウスのマーク。格好いい~!

 パトロール隊の制服。

 証明がおしゃれでした。

感想・まとめ

 花背スキー場跡は今はススキが綺麗な高原地帯となっていました。リフト設備が高原にぽつんと切なく残っておりかつて大勢のスキー客が訪れた事など想像すらつきません。

 1960年台、高度経済成長期を迎えた日本には様々なレジャー施設が作られ、一台レジャーブームが起こりました。その中でもスキーはミーハーな人たちがこぞって始めたそうです。京都で唯一だった花背スキー場はたちまち人気レジャー施設となり、本文にもあるように最盛期には5万人、一日3500人ものスキーヤーが訪れるようになりました。

 狭いスキー場なので、リフト乗り場には長蛇の列が出来ていたといい一日三回滑れれば良い方というほどだったそうです。京都市内からバス一本で訪れる事ができる所なので人気を博しましたが、大雪のときはバスが峠を超えられないため、花背峠や鞍馬からスキーを担いで歩いて訪れる人までいたようです。これは京都の片田舎であった花背にとっては好都合でした。

 60年台に訪れたレジャーブームとともに訪れたのはエネルギー革命です。それまで燃料といえば石炭でしたが、それが1962年の「原油の輸入自由化」により、石炭から石油の時代へと変化したのです。これは林業を主な産業としていた花背にとっては大打撃でした。

 そこで打って変わって出たのがスキー産業というわけです。廃れかけていた旅館や食事処もたちまちスキー客の増加によって盛り上がりをみせ、たちまち花背は一大観光地となったのです。

 京都の小学校の林間学習が花背なのも観光業で発展し潤ったときに様々なレジャー施設が建てられた経緯があるのかもしれません。

 結果温暖化の影響で閉園へと追い込まれましたが、京都の多くのスキー場も次々と閉園していき、今では京都はスキーのイメージは無くなってしまいましたね。


古都コトきょーとの管理人について
tamura
平成3年生まれ、京都に住むアウトドア好き。趣味は 登山/夜景/旅/スキー/キャンプ/Urbex など。Olympusユーザー。インコなど鳥が大好き。夜景山岳会所属。好奇心が強く、わくわくする所が好きです✨

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