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2018.04.09

大八霊柩車のある廃火葬場 - 死について考えさせられる廃墟

廃墟の情報

大八霊柩車のある廃火葬場
火葬場跡
場所 ー
建築 ー
廃墟化 ー

廢墟レポート vol.84:大八霊柩車のある廃火葬場 Abandoned Crematory

こんにちはtamuraです。

今回やってきたのは…人里離れた山奥に眠るかつての火葬場です。大正期に建てられた約一世紀前の火葬場だそうです。

火葬場とは、文字通り亡くなった方のご遺体を焼却する施設の事ですが、こういった建物が廃墟となって残っている事に驚きを感じました。

死とは全人類に共通するゴールであり、生まれたばかりの赤ん坊も、活発な小学生も、幸せいっぱいの新婚さんも、還暦を迎えた人も、100歳を迎えた老人も、今生きてる人全てがいずれ直面する必然的な出来事、それが「死」です。

そんな事お前に言われなくても分かっているよ!とあなたは言うでしょう、でも自分の死について真剣に向き合った事はあるでしょうか。

死といういつか突然訪れるその瞬間が自分の人生の終焉であり、何気ない一日も死へのカウントダウンが進んでいるという意識を持ったことはあるでしょうか。

考えた事があるなら、その死という自分のゴールに向かって、人生を後悔しない為に何か計画を立てたり、行動を起こしたことはあるでしょうか。

この記事は、多くの人からしたら、怖そうとか、気味が悪いとか、そういう風に思われるかもしれませんが、この記事に掲載されている写真の風景は決して幻想の世界ではなく現実であり、これら残された残留物は我々に死とは何かを問いかけているかのようです。

火葬場の廃墟ってどんな匂いがするんだろうと思っていましたが、至って普通の廃墟の香りでした。お線香の匂いとかではなく、ただ単に埃臭い臭いでした。

さて、火葬場の廃墟というと日本各地にありますが、この火葬場は一味違います。

現在で言う御遺体を運ぶ霊柩車が、ここではなんと大八車なのです。めったにお目にかかるものではありませんね。

かつては神輿でしたが、江戸時代に大八車が誕生してから霊柩車もこの形になり、後の宮型霊柩車はこれが原型になったものだそうです。

子供の頃は不老不死を夢見ていました。毎日が永遠に続けばいいなと。仮にアダムとイブが禁断の果実を口にして老いが課せられなかった世界だとしたら、現在の世界の人口はどうなっていたでしょう。

もちろんアダムとイブは生きている。どこか立派な宮殿の椅子で、のうのうと自らが作った世界を見渡しているでしょう。そして僕や今生きている70億人も生きている。それまでの間に生まれ死んでいった人々も皆生きている。地球はパンクしている所を想像するのは簡単です。飢餓に苦しみ住むところも少なくなり、それどころか、不老不死とは永遠ですから、永遠に人口が増え続ければいずれ地球が持つ原子の数を上回る人の数が生まれる時が来るでしょう。

地球が核から地表までパズルのようにうまく詰め込まれた人の塊となります。そして地球より大きくなった人の塊はやがて太陽の大きさを超え、ベテルギウスを超え、ガーネット・スターを超え、中では核融合が起こり、最終的に超新星爆発が起こってブラックホールになるでしょう。ってそれ死んでるやないかーい。

そもそも、地球が持つ原子以上の物質はどこからやってくるのか?そんな事は現実的にあり得ないからどうでもいいとして、生物は循環しなければ存在しえないという事です。

実物を見ると、内部は非常に狭かったので、棺に入れて…という訳ではなく御遺体を直接この中に入れていたのかもしれません。

さてここで、未来の自分の亡骸を想像してみました。それが「いつ」かは絶対に知りたくありません。ただ、その日は来ます。明日かもしれないし、何十年後かもしれません。

今は正直、死ぬのが怖いです。自分の遺体なんて想像もしたくないし、やりたい事が沢山ありますし、未来に少しですが希望も持っています。

でもこの先、このサイトがより多くの人の目に触れて共感して頂き、ほかにやりたい事もやりつくし、子供も生まれ立派に育ち、人生に満足して安心して死ねる状況が整ったら、その時死についてどういう価値観を持つのかとても興味があります。

よくテレビなんかで高齢のおばあさんに「死ぬのは怖くないですか」と質問したら、思い残す事はないから怖くないと言わはりますね。

もし、今やりたい事をせずに躊躇したり、言い訳して後回しにする事を繰り返していると、たぶん100歳になってもやり残した事だらけで死ぬのが怖いんじゃないかと思います。

死とは自分が何か行動を起こせる期限であり、それまでに満足のいく結果を残すためには今何をしなければいけないのか、改めて考えさせられます。

では今何をしなければならないのか、目標とはなんなのかを考えた時に、さらに我々を邪魔するのは絶望や妥協です。

良い家庭に生まれ、小学校からよい成績を取り、良い大学に入って、良い企業に就職して、良い知識を身に着け、独立起業に成功し、美しいお嫁さんを貰って可愛い子供を授かり、大金を手に入れて、豪邸を立て、欲しいものは全てを手に入れ、社会に貢献し、多くの人から愛され信頼と共感を得て、健康に歳を重ねることができれば、そんな人は美しく散っていく事が出来るでしょう。

さらには素晴らしい人生を送る為には何か素晴らしい功績を残したいと考える人もいるでしょう。でもその功績とは数えきれないほど存在し、とてもじゃないけど長くて100年の人生でありとあらゆるジャンルで何十もの功績を残せるとは到底思えません。

僕がそんな人生を歩むためには、すでに必要な項目が抜けていますし、今後もすべてを手に入れる事が出来るとは考えにくいです。

だからと言って、人生に絶望し、自分の人生はこれくらいでいいやと妥協してしまったら、本来自分が持っているポテンシャルを十分に発揮できないかもしれません。

大事なのは、上に一覧で書いたような全てを手に入れる事こそが100点満点の人生だという世俗的な価値観を払拭し、今自分が置かれている立場をちゃんと理解し、他人と比較せず、自分に与えられた環境の中で精いっぱい努力する事なのではないでしょうか。

人生のテストは、人それぞれ難易度や問題数が違うのですから、精一杯生きる事で神様は及第点を下さると信じています。

その後、散策していると廃墟マニアか地元の方か2名ほどで散策に来たので、我々は出て外観撮影して戻ってくるとなんと組み立てられていました笑

ぎこちなく少し触れるとバラバラに落ちてしまいそう…。

遺体移動用の滑車と火葬炉。火葬炉は三つあり、右側が元々あった火葬炉のようで、レンガの煙突が後方から伸びています。

一番左の火葬炉はおそらく後から新築したもので、見た目の新しく煙突もコンクリ製でした。

亡くなった方を火葬する事を仏教用語で「荼毘に付す(だびにふす)」と言います。

聞きなれない言葉ですが、本でよく火葬された事を遠回しに言ったりする時に「(誰それ)は荼毘に付されました」と書かれていたりします。

火葬という言葉は人が燃えて灰になる事を容易に連想する事ができる為、荼毘に付すといったほうが、現代の人々にとっては抽象的な感じがして良い言い方かもしれませんね。

火葬炉の裏側にやってきました。

焼却用のガスボンベや、遺体搬送用のストレッチャーなどが放置されていました。

炉は重厚なレンガで覆われ、裏手には小窓が付いています。手前の機械はなんでしょうか。

中を覗いてみる。このように実際も覗いて火葬の具合を確かめていたのかな…。

人が燃えるってどんな様子なのか、考えたくなくても脳裏によぎってしまいます。

火葬炉の上、天井を突き抜けて伸びるレンガ造りの煙突。

一通り撮影して、撤収。もと来た草木の伸びたひっそりとした狭い狭い林道を歩いて戻る。

ザクッザクッザクッ…。

?「もし、これはどなたのお弔いかな?」

??「お馬廻り二百石、大場宇平様の弔いです」

そんな声が聞こえてきそうな、とある日の夕刻の散策でした。

感想・まとめ

火葬場の廃墟に恐怖を抱くなというほうが難しいかもしれませんが、当初は物珍しさで「ここに行ってみよう」と思いました。

とはいってもやっぱり死ぬのは怖いし、火葬場の廃墟をルンルン気分で散策できたかというとそうではありません。

でも死という現実から目を背けながら生きていくより、死を受け入れ、より満足できる死に向かって生きるほうが、これから来る大事な分岐点においてより良い選択ができるのかもしれないと感じました。

ふと散策してる時、親指がそわそわしていたのですが、子供の頃、霊柩車を見たら親指を隠しなさい!と母親に言われていたのを思い出していました。日本がまだ貧しくて、医学なども発展していなかった頃は、死がもっと身近にあり、死の連鎖を断ち切る為にさまざまな風習がありました。

今でも日本には知らないだけでその頃の風習が強く根付いています。霊柩車(お弔いの列)をみたら親指を隠すというのもその一つで、昔は親指の爪と肉の間から霊魂が入り込むと考えられていて、この世に未練のある死者の魂はなんとかして生きてる者に肖ろうとして、親指から入ってきてしまい、結果早死にしてしまうと言われていました。

ごはんに箸を立ててはいけないというのも有名ですね。これは枕飯といい、死者が霊場(恐山など)に詣でなくてはならない為、そのためのお弁当なんですね。これがないと死者は途中で疲れてしまい、霊場に向かう事が出来ず成仏が出来ないと言われています。

今の時代は昔とはくらべものにならないほど死と現実世界を切り離しすぎているので、なんで?というような風習も多くありますが、死や弔いといった行事、人がどのようにして死と向き合ってきたか、また死を避けてきた知恵などを理解していく事で、今生きている事に対してより感謝できるような気がします。

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山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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