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2022.02.05

小馬寺 - 山の頂きに放棄された1200年の歴史を誇る幻の山岳寺院

廃墟の情報

小馬寺
愛知県豊田市
廃寺

廢墟レポート vol.159:小馬廃寺 Abandoned Mountain ZEN Temple.

こんにちは!たむです。

さて、今回はいつものゴンゾーさん、そして以前、Youtubeの廃村八丁テント泊動画でも出演して頂いた友人のタカハシさんと共に、愛知県豊田市の廃寺、小馬寺へと行ってきました。

豊田と言えば、車のTOYOTAを思い浮かべる人が多いかと思いますが、昭和30年代、TOYOTAをはじめ中京圏の発展により、工業用水の確保、住宅地も増えたので上水道の水源の確保、そして古くからよく氾濫していた矢作川の氾濫防止措置の為に、かねてより計画されていた矢作ダムの建設が急がれました。

ダムを建設した際には、矢作川左岸の愛知県側と、右岸の岐阜県側の合わせて177戸が水没となり、小馬寺の檀家が多く居た旧牛地村も水没。

それ以前から、人口減少からか、ダム建設が決まったからか分かりませんが、小馬寺の住職はお寺を離れていたようで、さらにダム建設が始まった事により檀家も離散した事も相まってお寺は廃寺となりました。

ちなみに、お寺を支えていたのは牛地村だけではなく、牛地から見て駒山の反対側に存在する田津原(たっぱら)地区や、坪﨑村、川手、黒田など複数、檀家のいた村は存在しており、ダムが完成してからも、しばらくの間はご管理の手が行き届いていたと思われます。

そして、月日がたち、お寺の老朽化が目立つようになった今から10年ほど前にご本尊(十一面観音)や、お寺の備品は関係者によって引き取られ、今のように放棄状態に至ったという事のようです。

本来であれば、林道から山頂付近まで訪れる事ができるのですが、1月末という事もあり、路面凍結の場合を考えて今回は矢作ダム側から登山で訪れる事にしました。

駒山は、かつての巨大寺院のある山という事もあり、登山道が張り巡らされています。

その中でも、駐車が容易な相走橋(あいばしり)から登り、旧西参道口へ下山するコースをとりました。

古くは生駒山と言われており、お寺も「はくほー寺」と呼ばれていたというそうですが、近代では駒山、そして小馬寺(しょうばじ・こまでら)と呼ばれるようになったといいます。

相走橋から登るルートは分かりにくく、鬱蒼と茂った人工林の間をひたすら登るコースでした。

山頂に近づき林道合流地点に来ると、今日初めての遺構を発見。よく見てみると三十三観音の一つでした。

仏像には数字が割り振ってあり、どの村の誰が寄進したものなのかが掘られています。

山頂部にやってきました。

小馬寺は、855mの駒山の山頂に存在しています。

ピークから少し下がった所に、お寺の入り口である山門が存在します。

ででー-ん、これが見たかった~!

この二重門が、小馬寺の山門でした!

数年前テレビで紹介されてから、訪れる人が増えたのか、オレンジ色のバリケードがされていました。

それでも、十分迫力が伝わりますね!

ケヤキ造り四層式2階建て、15m。建築されたのは、江戸時代末期から明治初期にかけてだそうです。

比較的新しい事や、貴重と言えるほどの建物ではなく、現状運営も難しい事、何より小馬寺という寺院はその歴史があまり明らかになっていない、そういった点から文化財指定というのは難しいようです。

廃墟というのは、だからこそ廃墟になっていると言えるでしょう。「守るほどではないが貴重」、紙一重の差で、貴重だが人の目に止まらなかった、歴史が明らかではない、そういった理由で世の建物の一部というのは廃墟になっていくのです。保存されゆく建物には透明性が必要であるという事なのでしょうね。

それにしても、このような数十年も前から忘れ去られたような山に、今もこのように寺院が存在していた跡が残っている事がとてもロマンに満ち溢れているなと感じました。

かつては、この山も街道と街道をつなぐバイパスの役割があったのだと思います。尾根や谷がルートとなり、牛地から足助、そして拳母へと、人の流れがあったのでしょう。

江戸時代、牛地周辺、このあたりは馬の山地であったといいますから、馬の生産者や、地元の方、馬を引き連れた旅人が、この山門を通って本殿で旅の安全を祈願していたのかもしれません。

毎年二月、初午の日には多くの参拝客が馬を引き連れて訪れ、馬が丈夫に育つように祈願したといいます。

また、このお寺は「龍馬が残した食いかけ笹」という話の舞台にもなりました。

かつて本堂には龍馬という金属で出来た馬像があったそうなのですが、夜になるとなんとその像は動き出し、本堂を飛び出して外に映えている笹のはを食べていたのだといいます。

時々、食い残すので、食い残されたような笹を見るとお寺の人や参拝者は「龍馬の食いかけ笹」だと噂をするようになり、それを見つけて自分の馬に食べさせると丈夫に育つと言われるようになったそうです。

動画序盤のゴンダさんが「チャーチャー」と歌っていた所でも笹が映っていましたね。あの場所で昔は参拝者の皆さんが、食いかけ笹(ちぎれた笹)を探していたのかもしれません。

それより以前、室町時代にはこの駒山に城がおかれていたとネットでは掲載されておりました。

牛地城(または駒山城)といい、松井佐渡守の本城だったと言われていますが、実際にそのような記述はどこにもなく、駒山の現地の様子や、お寺があった規模や場所など状況からみて、軍事目的、または見張り場として使用された、お城のようなものが存在していたと考えられているようです。

かつては、寺院を城郭、軍事要塞として利用する事が普通でした。三河の国境に位置する事から、城のようなものが置かれていたのであろうと推測されています。

また、Youtube動画のコメントで視聴者様から、この場合、小馬寺に7~800人いたという僧は僧兵でしょうという事を教えて頂きました。ありがとうございますmm

地域史の記述にこれ以上の事が書いていない事と、小馬寺の歴史も明らかになっていない事から、これらは推察に過ぎないようで疑問が残りますが、廃墟としては謎がある方がミステリアスで魅力的だとも言えるのかもしれませんね。

動画でもご紹介した1947年の落書き笑

コメントで教えて頂きましたが、少し前までは階段を登って上まで登っている探索者がおられたようです。

その時に書かれたものでしょうが、こうやって書かれると、一瞬本当にその時代のものなんじゃないかって勘違いしますよね笑

また明治元年という落書きもありましたね!明治元年の人なら、達筆であれとはいいませんが、当時で識字能力があるならばそれなりの書体であってほしいものです!

こちらは動画でもご紹介した巨石。

動画ではこの迫力がちゃんと伝わっていたでしょうか?笑

本当にすごい迫力でした!

小馬寺は役小角が白鳳年間に創建したといいますが、実際の所、役小角と小馬寺の関係性は薄いように思います。

小馬寺は三河の国境に位置する事から、見張として寺院が設置された事から始まりであろうと思われ、それ以前の時代は、こういった岩場が山伏の修行場となっていたと考えられます。

また、巨石、岩というのは古くか神聖なものとされており、京都・笠置寺に見られるように山伏の修行場となってきました。

岩というは、数百年、数千年の期間で見ると変化が少なく、時代を超えて人と人をつなぐ事が出来る、特別な存在として重宝されたのかもしれません。

縄文時代では人が無くなると埋めた土の上に石を集め、そこが墓である事を分かるようにしていたといいますから、岩は古くから祖霊信仰と結び付けられてきたと考えられると思います。

山伏が、駒山のこの巨石に目を付け、修行場としたとすると納得がいくような気がします。

そういった事から、山伏の修行ルートとなり、それが道となり、長い期間をかけて駒山が信仰の場へと変化していったと考えられます。

さて、ずいぶん山を降りてきました。

今回の山旅が終わろうとしている最後に、素敵な景色が姿を表しました。

かつては、ここから矢作川と集落が見渡せたのかもしれません。

麓には、旧牛地村の棚田か、畑の跡地が見えていました。

段々は湖へと続いており、村はその底に沈んでいます。

感想・まとめ

駒山の信仰の起源としては、はるか大昔、駒山の麓に住んでいた人々が自分たちの祖先がいる神奈備山として拝んでいた事から始まるものと思われます。

その後白鳳年間に役小角が旅の中で訪れ、「訪れた岩嵓を修行場とした」または「廟を設置した」事で、後になって山伏達の間でそれが特別な意味を持っていったと想像できます。(実際に役小角がこの地に訪れたかは定かではありません。他の聖地に肖り、この地でも役小角伝説が定着した可能性もあります)

11世紀ごろになると、国境を見張る場所として寺院要塞が設置され、後に大きな伽藍を持つ大寺院へと変化していったようです。

(※)とりあえず情報を詰め込みました。読みにくいので、今後修正していきます。)

<雑談>久々の更新になりましたね。一月はナイトハイクや登山などで忙しくしておりましたが、動画撮れる内容ではなかった為、なかなか更新できませんでした。あいの日に計画せず撮影しに行ったのですが、それも没になってしまい…ようやく撮影できました!

僕だけでは、静かでなんか説明してばっかりのどんよりした動画になってしまいますが、友人がいると明るい動画になって良いですね。面白映像はゴンダさん任せにしてしまっていた所も反省ですが、同時にゴンダさんには感謝で一杯です!


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山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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