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2016.01.25

森の廃洋館

森の廃洋館 室内

廃墟の情報

森の廃洋館
廃屋
建築 不明
廃墟化 不明

廢墟レポート vol.32:森の廃洋館 Woodland mansion

森を奥へ奥へ…。

ここは日本のどこかにある静寂に包まれた森。

この日は天気が悪く、朝の冷たい雨でずぶ濡れになりながら木の葉をかき分けて前に進んだ。

廃墟マニアには笑われるほどビビリは我々には、雨は外の世界と自分たちの心を隔てるちょうどいい壁になっていた…。

こんにちは、tamuraです!今回は地方の実業家が立てた和洋館の廃墟にやってきました。明治に着工され、大正にかけて建築されたそうです。

明治から大正時代というと、日本らしい文化や風景を残しつつ近代化が進み、西洋文化が人々の興味を惹きつけたハイカラな世相で、欧米列強の仲間入りを目指して工業の発展に尽力した時代です。

この時代の裕福層の家は、今回紹介する洋館のように、来客用の応接室としての洋館と、生活スペースとしての日本建築(書院造)を組み合わせた「和洋館並列型住宅」が多く現れるようになり、洋風を取り入れる事がステータスでした。

こういった和洋館は、明治政府のとった欧米化政策により出現したものです。

大政奉還後の政策(脱亜入欧)の変化の視覚化を図るため、役所や学校、監獄といった公共建築に洋風建築が取り入れられ、政府高官や上流階級たちも洋服が当たり前となってきます。そうした生活スタイルの変化と共に、個人邸でも洋風をあしらった建築が取り入れられ、そういう家の先進性は評価されました。

西洋化が進んだ明治と言えど、数百年続いた日本の生活様式を変化させることは難しく、生活スペースは使い慣れた日本家屋に、魅せる場としての応接室を洋室にというのは洋風化への第一歩として当然の流れだったのかもしれません。

森の廃洋館のファサード。

インターネットで見かけて行ってみたいと感じたが、思っていたよりも老朽化が進んでおり、まさに廃洋館といった様子。廃墟としてまだ新しいのではと思ったが、これは紛れもなく廃墟ですね。

中に入ってみると、そこは中世の世界が広がっていました。

冬の冷たい空気とカビとホコリの入り混じったジメジメとした廃墟らしい匂いが私を包みこむ…。

素敵な階段が現れました。誘われるように吸い込まれるのは当然の事でしょう。

階段は赤いカーペットが敷かれています。

上品に差し込む光が、この豪邸の雰囲気をより一層神秘的で謎めいたものにしていますね。

踊り場の風景。

その先にあるのは広い洋風の大部屋。

中世のヨーロッパを彷彿とさせる復古調のデザインが美しい。

所せましと置かれているテーブルと椅子の数々が、ここが重要な部屋であったことを物語っています。

大きく開いた高級感のある木造の扉。

ここに日本人が暮らしていたというだから驚きです。

なにもかもが高級な素材で、特に足元のカーペットは探索靴ごしにでもふわふわとした感触が伝わってきます。

立派な一人掛けのソファーは、座れば柔らかな素材と優しい腰かけが癒しを与えてくれるでしょう。

この大きな部屋もすべての窓に鉄格子がついています。

この鉄格子が、この洋館で最も特徴的です。この部屋で真珠湾攻撃の秘密会議が行われていたこともあったという話なので、そういった集まりも出来るように鉄格子を取り付けたのかもしれません。

天井から床まで作り込まれていて、見とれてしまいます。

最も見ごたえのある部屋だけにいろいろな角度で撮影。

部屋のコーナーに置かれていた朽ちたオルガン。

部屋に一つアクセントのように置かれていたお花。

廃墟のように哀愁が漂っています。

小さな寝室。

先ほどの洋室の横にあり、立派なつくりとは対照的にこじんまりとした雰囲気。

驚いたのは、はがれた壁からレンガが見えているではないか。

アメリカ積みだろうか、不規則に揃えた天井部以外はこびり付いた漆喰で肝心な部分を隠している為分からないが、このレンガの積み方を調べれば建物がどういう様式で建てられたのかヒントが出てくるのではないでしょうか。

この部屋のダイヤル式の電話機にかかれている、この家の電話番号と思われるものは、30年ほど前に変更になった旧市外局番のものでした。

窓にはなぜか鉄格子があり、部屋は閉ざされた牢獄のようですね。

外は本降りになっているというのに、静寂に包まれた室内にはほんのかすかな雨の音が聞こえるのみ。

この重厚な建物の壁が、外の音を遮断しているのでしょう。

かすかに漏れる光が寂しげな雰囲気を醸し出している。

漏れた光の筋を横切る埃が見え、顎にかけていたマスクを上にあげた。

大広間は襖のやさしい光が注ぐ和室でした。

生活スペースとして使用されていたようです。

大きな屏風に描かれている山々の景色。

開放感のある縁側。

くれ縁の薄い床板が、ギュッ…ギュッと鈍い音を奏で、外では朝の小鳥の会話が聞こえる。

廃墟でとって良いのは写真だけ、壊していいのは暗く薄汚いイメージだけ。ほんの少しの音でも、それが崩壊につながるのではないかと細心の注意をはらう必要があります。

その先は、家主の婦人のものと思われる寝室。

壁にはここの主と婦人の記念写真がありました。

崩壊が激しい物置小屋。

朝日が強く差し込んできたので退散です。光と影によっていろいろな表情をだす魅惑の廃洋館でした。

感想・まとめ

2016年中頃にインターネットで初めてこの洋館を見た時は衝撃が走りました。これだけの富豪の個人邸が、廃墟となって放置されている事に驚きつつ、どうしても行ってみたいという衝動に駆られました。

訪れてみると写真と同じ甘美で美しい空間が広がっていました。明治から始まった日本の洋風化の一コマを垣間見れた素敵な廃洋館です。

この洋館の主は、日本の化学史に残る偉業を達成し、地域有数の実業家と言われています。戦時では日本の為に爆薬や戦闘機などを寄付し戦いに大いに貢献したといいます。

そのような人の邸宅がなぜ、その後放置されるに至ったのかは不明ですが、よくも今まで残っていたなと感動でした。

歴史的価値のあるものの多くは保存されていますが、公開されるとどこか客観的に見てしまいます。そういう散策は好きですが、廃墟はある日突然使われなくなったまま朽ちてゆく姿が残されており、史跡とはまるで違う趣があります。より当時に近い環境ですし、経過した時間を五感で感じる事が出来ます。往時を偲ぶ際、想起させるタグとなるものが多ければ多いほど廃墟としての魅力が高まります。僕が記事でしきりに「残留物は~」などと書いているのはそのためです。

和洋館でいうと、毛利邸や松方邸が有名で文化財にも指定されており、これらは日本の西洋化を牽引してきたトップです。明治政府により脱亜入欧の政策で、明治5年頃を境に天皇陛下の断髪や洋装化しましたが、政府高官は天皇の行幸の機会を得るために洋館を(天皇の姿に見合うように)立るという和洋館の元々の成り立ちを知る事が出来ます。

それに肖り、裕福層の中に自宅の中で応接・接客の場として洋室を取り入れが定着されていき、次第に中流、そして戦後には一般市民(どこの家にも和室・洋室はある)にまで定着していきました。そういった時代の流れの中間層が残されている事は稀で、そういうものは廃墟でしか垣間見る事の出来ない醍醐味なのだろうと思います。


山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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