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2017.03.25

本覚寺(詐欺寺)- 霊視商法詐欺で解散し廃墟となったアジト

詐欺寺の位牌倉庫

廃墟の情報

本覚寺(詐欺寺)
廃寺
場所:奈良県
建設 1987
廃墟化 2002

廢墟レポート vol.61:詐欺寺 Sagidera Temple

こんにちは☆tamuraです!

ここは本覚寺というお寺の廃墟。廃墟が好きな人の間では”詐欺寺”と呼ばれています。

1987年、千葉県で水子菩薩を扱う訪問販売会社を経営していた男性Nが、宗教ビジネスに花を咲かせようと京都・醍醐寺の末寺として茨城県太子町に新興宗教を設立しました。

この人物は自らが僧侶となる為に、実際に醍醐寺で修行をした(印可を受けた?)後に、宗教法人「本覚寺」を設立した事に始まります。

翌年には、真言宗醍醐派を離脱し、東京都台東区の寺務所総本部を中心に、関東でチラシを配り格安(3000円)相談を装い相談者を募っていました。

相談者が現れると僧侶による霊視を行い、不安を煽るような事を伝え供養料・祈祷料として数百万の支払いを要求。相談者が金額に驚くと、「祈祷・供養をしないと、あなたの悩みは深くなる、家族に祟りが起こる」などと説得、それでも「お金がない」というと「借りてでも支払え、生命保険を解約して支払え、家族とお金どっちが大切なんだ!」と強く支払いを要求され、「家でよく考えて見る」などと悩む素振りを見せると、「今すぐ決めないと大変なことになる」、「人に相談している余裕など無い」と、その場での支払いの同意を求められたといいます。

相談者は、その場の異様な雰囲気に飲み込まれたり、悩みを打ち明けた霊能者にもっともらしく言われる事で、結果支払いに同意してしまうという、典型的な詐欺の手口に次々と引っかかっていったのです。

階段は長く、寝起きの体力では息も上がってしまうほどでした。

下を見ながら、手すりに手をかけゆっくりと階段を登っていると、急にふわっとした感触があり、目を上げると僕の手はブラジャーを握りしめていました。

こんな所にブラジャーが?後で説明しますが、ここはブラが沢山あることからブラ寺とも呼ばれているのです。

所で、ここは真言宗から分かれた宗派とは言え、新興宗教な訳ですが新興宗教とは一体なんなのかご存じでしょうか?

新興宗教とは、幕末や明治時代以降に開かれた全ての宗教・宗派の事を指します。

このように事件となった宗教もあり、オ〇ム真理教も新興宗教です。有名どころでいうと、幸福の科学や天理教あたりも新興宗教となります。

それに対し、日本の仏教の大本となる宗教・宗派を「十三宗五十六派(じゅうさんしゅうごじゅうろっぱ)」と言い、これらは皆さんが良く知る浄土真宗や、本覚寺の元となった真言宗もそれに含まれます。

13宗:浄土宗(4派)、浄土真宗(10派)、臨済宗(10派)、真言宗(9派)、日蓮宗(9派)、天台宗(3派)、律宗、曹洞宗、黄檗宗、時宗、融通念仏宗、法相宗、華厳宗

このように、13宗を軸に、56の宗派で分かれているのですが、注意したいのは、例えば13宗の一つを名乗っていても、宗派が56派の中に含まれていなければ新興宗教になります。(この記事では神道の話は除く)

ちなみに真言宗とは平安二宗(もう一つは比叡山の天台宗)の一つで、804年に遣唐使として唐に渡った「空海」が帰国後に高野山に開山した事に始まる由緒正しい日本の宗教です。

醍醐派は9つある宗派の一つ。そういう宗教が、このような詐欺に利用されるというのはとても悲しい事ですね。

新興宗教=悪という訳ではないので、その点は分かった上で記事を読んでいただけると幸いです。この記事は本覚寺という新興宗教のお話です。

長い階段を終えると、詐欺事件の舞台となるお寺が現れました。建物はとても立派です。

実際にこの地を拠点にして、霊視鑑定を行い、根拠もないありもしない事で相談者を煽り倒し、多額のお金を搾り取っていました。

半強制的に説得させられ、多額の金額支払うも、後日家族や親戚と相談すれば絶対おかしいと言われますよね。当然の如く消費者センターに大量の苦情が寄せられ、損害賠償請求が次々と起こった為、一時的に活動を休止となりました。

1992年、損害賠償の支払いなどで追い込まれ、更なる利益を得るべく、和歌山県海南市にあった廃寺の明覚寺を買収し、活動の拠点を茨城の本覚寺から明覚寺に拠点を移します。

本来、明覚寺は京都・勧修寺の末寺でしたが、Nが明覚寺住職になる事により、真言宗山階派(勧修寺)から離脱して独立し、寺の目的を本覚寺と同じくするように規則を変更していきました。これにより、明覚寺は代表、役員、目的ともに本覚寺と同一の宗教団体となり、茨城の本覚寺は、関西では明覚寺と名前を変え、同じように詐欺行為を繰り返していく事になります。

その際に、本覚寺が捨てられた訳ではなく、和歌山の本山に対し、本覚寺は研修道場として残されました。

その後Nは住職から供養本山建設後に真言宗覚王院門門主となり、寺の事はYに任せ、横浜に僧侶育成院を開設し、大勢の僧侶に「供養料システム」を叩き込む事に専念していきます。

もちろん、僧侶には宗教活動の一つであると教え、詐欺行為である事とは知らずに教え込まれていました。

最終的には名古屋の満願寺で詐欺容疑で僧侶が愛知県警に逮捕されます。その満願寺とは被告Nが養成した「供養料システム」を実行していたお寺です。

この逮捕により、強制捜査が入り、満願寺に出入りしていた全国の明覚寺系のお寺などに操作の手が入りました。

その後、僧侶は執行猶予で釈放されていきましたが、名古屋満願寺の指導をしていたとして、N門主、明覚寺Y管長、本覚寺S管長と幹部数名が逮捕される事になります。

その後は幹部数名と本覚寺S管長が釈放、1999年にN門主は懲役6年、Y管長は懲役3年という判決がくだりました(実刑はNのみ?)。

これにより多くの信者が不信に思い、教団から去っていく事になります。

その後2002年1月に和歌山地裁により解散命令が出されました。宗教団体の解散命令は地下鉄サリン事件のオウム真理教についで2例目となります。

本堂の内部。キンキラの舞台で教主が胡散臭い説法でも行っていたのでしょうか。

なぜ人は(悪い)宗教に引っかかってしまうのでしょうか。日本では憲法20条で宗教選択の自由が保障されていますが、中にはこのように危険な宗教、もしくは全く意味のないものもあるでしょう。

そもそも仏教とは何かを紐解けば、「人間の間違った認識を改め、何かに執着せずに煩悩を断ち切って涅槃と呼ばれる最高の安らぎの境地に達する事」という釈迦の教えがあります。

仏教が分裂するたび、その思想は少しずつ形を変えてゆき、それぞれの宗派の教祖が感じとった(または神から授かったとされる)教えを開いているのですが、分裂した宗派は多きくなる為には信者を獲得しなければなりません。

信者を獲得する為にしたことというのが、悩みに寄り添う事なんですね。人の苦しみや悩みをよく聞いてあげたのです。

心理学では、人の話を聞く事を傾聴と言います。そして悩む人のはけ口となる事で、その人を依存させていくのです。

依存しかけている所で次から次に追い込みをかけていきます。次は宗教の信者の集団の所へ招待し、どういう事をしているのか見てもらいます。

人は情報の8割を視覚から得ていると言われているので、逆からすれば見せてしまえば知識となり、安心感へとつながっていく心理を利用しています。

また人間は集団の中に存在したいという社会的欲求を持っており、同時に多数の意見に弱いという性質を持っているので、集団から良くしてもらったりポジティブな期待をされるとそれにこたえなければならないという心理も働きます。(ピグマリオン効果・好意の返報性)

そうやって何度か通っている内に人というのは慣れて、さらに好感を持ってしまうのです。熟知性の法則といい、繰り返し誰かと会う事によって、相手に対する好感度は無意識に上がっていってしまうのです。

次に教団幹部など、まぁ偉いさんなどが会いに来るわけですね。人は明らかに自分より立場が上の見ると圧倒されます。大仏なんかも後光がさしてて圧倒されますよね。これをハロー効果といい、権威性をアピールする事で信じこませる力を持っており、そしてそんな人わざわざ自分に会いに来てくれたという特別感を味わうことになります。

教団幹部をそういう存在に際立てる為には、それまでに教団内の信者が誘おうとする方に、どれだけ尊い宗教の幹部の方か…という説明をします。これをウィンザー効果といい、利害関係のない(表では)第三者からそういう情報を聞く事により、心が弱っている人は余計にその言葉を信じてしまい、ついには入信してしまいます。

そして悩みを持った信者同士の絆というのは強いものです。脳科学では、人と人のつながりはオキシトシンホルモンの役割と知られていますが、これは人間の組織集団を作るのに役立っています。例えば新学期の教室の中に居合わせたただの人の集合体は、お互いに知らんぷりですが、何度もあって会話をしたり同じ空間を過ごすうちにオキシトシンが分泌され生徒が組織化します。

オキシトシンというのは、愛情ホルモンと言われ人と何かのつながりを作る重要な役割を持っていますが、逆に自分の所有物(人・物・環境)が自分から離れていきそうになった時、オキシトシンはそれを阻害して嫉妬や妬みという感情を作る事も知られています。

教団から人が離れていけば、はっきり悪意を向けてくる人は少ないかもしれませんが、言葉にならない圧力を感じるに違いありません。宗教団体というのは向社会性が高いからこそ、離れていく人を快く思わない人も多くサンクションに走ってしまう人もいます。

そうしているうちに、ある時奇跡が起きてしまいます。本当は宗教は関係がないのに、自分の都合の良いように物事が進みました。それを神様のおかげととってしまうのです。そしてまた集会に通って神様にお祈りする…。そうしているうちに、また良い事があります。本当は悪い事もあったのに、それを自分の信じる心が浅いせいにして…。

宗教というものは大抵階級制度が存在します。社会的欲求を満たす為、より信心深くなり沢山のお布施をするようになります。そうして階級が上がると社会的欲求が満たされ、脳から沢山のドーパミンが出て幸せと達成感に満たされます。

多少のおかしな内容があっても楽観主義バイアス(異常事態を楽観的に処理する心のメカニズム)が働き、教団の人間関係におぼれ、都合の悪い事は見えなくなってしまいます。さらに正常性バイアス(ある程度までの異常を異常と感じず正常な範囲内であると処理する心のメカニズム)が働いてしまうのです。

元々、人間は元々過度な緊張などによって心に負担をかけるのを防ぐ安全装置のようなものを持っており人に迫る様々なリスクを感知して意識に知らせているのですが、正常性バイアスが働く事によってその装置が作動せず、危険を回避する機会を失ってしまうのです。

さらに、その教団に依存した所に、信じないと恐ろしい事が起こるのだという恐怖心を植え付け、さらにはその対象が自分の大切な家族に危険が及んでいるとし、自分だけではない…とさらなる恐怖心を植え付けます。

そして、救ってあげられるのは我々の神様だけだと言うのです。

このように幾重もの人間の心理を利用し(実際はこの説明よりはるかに多様な方法で)マインドコントロールを行う事で非常に深い洗脳状態へと陥り、思いのままに操られてしまうのです。

そして何より一番怖いのは、だましている人も、だまされている人も、「自分は騙されているわけではない」と思っている所です。

都合よく作り上げられた宗教は、心理学的にも相手をコントロールしやすく、脳科学的にも効率よく依存させる事が可能なので、資金集めに利用するには最短とも言えるのではないでしょうか。

大広間には押収された大量の証拠品が並べられていましたが、現在は荒らされこのような姿に。

セミナーやイベントのときの記念写真。

白装束で修行を行なっていたのでしょうか。これらも醍醐寺で学んだ大峯奥駈修行の見よう見まねのまがい物なのかもしれません。

僧侶がマイクを持って何か喋っています。怪しい声しか聞こえませんね。

ちなみに僕の家は浄土真宗を信仰していると共に、母親方の祖母が信仰している新興宗教に入信しています。

物心がついた時から、その宗教に関わる機会が多く、怪我や悪い事があると祝詞(のりごと)を唱え「おきよめ」と言われる手かざしをされていました。

小さい頃はそれが当たり前で、お清めをされると悪いところがよくなると本気で思っていましたし、入信可能な10歳になると当たり前のように入信説明会をうけ、晴れて組み手(信者)となりました。

ところが年齢を重ねるにつれ、疑問に思うことが沢山生まれてきました。団体の中で上級に登るためには、沢山の人を説得し入信させ教団に貢献しなければなりません。

「児童の集団下校の際にトラックが突っ込んできて、沢山の児童が亡くなったが、唯一組み手だった男の子は奇跡的になんの怪我もなく生還した」

「治るはずもない病気にかかっていたが、毎日毎日患部に手をかざすすことに寄って奇跡的に治った」

というような信者が体験した奇跡などを説明し説得していきます(もちろん教団の本にも書いています。)。様々なバリエーションがあるのですが、どれも「良くある悪い出来事」+「信者のみ助かったor奇跡が起こった」というパターン化されており、事実かどうか確認することもできません。

被害者名ののる事件当時の新聞でももってきてもらって、助かった唯一の一人本人がその場に来るならまだしも、そういう事を問いただしても誰も説明できません。本に書いてあったから。それが全てなんですね。疑う素振りをみせると嫌な顔をされるか、大人になりなさいと諭されます。

疑いもなく信じる事が偉いこと、本にかいてある事、教団の上級者の言うことは必ずしも正しいと思うように、マインドコントロールされる訳です。

今でも家族が月々に払う光代金500円を支払って居るため信者扱いとなっていますが、僕自身は活動は行っていませんし、家族以外の他の信者との関係はもっていません。やめたいと言っても不安がられてやめさせてもらえません。うちの家族は宗教をやめると不幸が起こるとマインドコントロールされているのです。

また、大体は身近な人から説得し、入信させるタイプなので、親戚ぐるみで入信しているという事も多く、親戚・家族トラブルがあるので組織をやめにくいという特徴があります。実際に僕も軽くですが祖母に脅されてますからね。

今回、この詐欺寺を散策していて、自分の入信している教団の事が頭をよぎりました。

うちの宗教でもこの写真のように皆で仲良く集まりを行っていました。皆優しくて、食べ物を持ち寄ったりして分け合ったり。僕がまだ小さくわけもわからない時は……、楽しかったな。

山のように積まれた当時の記念写真や、資料など。

これらは宗教活動を行っていた時の記録などですが、これだけ多くの資料があるという事は多くの信者がいたという事。

心理学では、意思の弱い人、Noと言えない人、おだてに乗りやすい人、心身が弱っている人、その事柄について専門的な知識がない人、好奇心旺盛な人、考える事が苦手な人、これらの人がこういった詐欺に引っかかりやすいと言われています。

人はみな心が弱る時がありますが、そういう状態の人を宗教というのはうまくひきつける事ができるというものを利用したのです。

霊体験のインタビューカセットテープ。こういうのを高く売りつけていたんでしょうか。

叶う道。こういうビデオから着々とマインドコントロールが始まっています。

このお寺の通帳がずらり。どれも今はない銀行だらけですね。

富士銀行→みずほ銀行

第一勧業銀行→みずほ銀行

三和銀行→三菱東京UFJ銀行

さくら銀行→三井住友銀行

通帳を開いてみると、多額の預金が。ときには1億やを超え4億といった数字もありました。

恐ろしい資金集めの能力ですが、宗教にはお布施がつきものですね。

仏教の教えを悪用し、次から次にお金をだまし取っていたことが分かります。

仏教では、極楽浄土へと往生するためには煩悩を断ち切らなければならないとされていますが、その為に実践する6つの項目があり、それを「六波羅蜜」と言います。

「布施」とはその6つの中の一つで「人に与える親切」の事を言い、「財施(金銭を与える)」「法施(仏法を与える)」「無畏施(精神的な安定を与える)」の三つを代表的な三施といいます。

ほかにも笑顔を与える「和顔施」や、優しいまなざしを送る「眼施」など色々ありますが、総じて人に何かを与えてあげる事全般を指す言葉、それが布施なのです。

しかし、現代ではお布施というと「お金」の事のみを指すようになっていませんか?これは日本の仏教の歴史の中で歪んできた、仏教と庶民の関係の成り立ちに由来するものです。

日本は江戸時代になると幕府によって檀家制度というものが作られ、キリスト教弾圧などのため庶民はどこかの寺院を菩提寺として、そこの檀家になる事を義務付けられ、それを仏教徒である証拠としたのですが、そこから庶民と仏教のつながりが濃くなっていく事となります。

またキリスト教では人が亡くなったらお葬式をするという様式があり、もともと仏教というものはお葬式が無かったのですがキリスト教に対抗する為、お寺に檀家の人が亡くなったらお葬式をするようにさせました。

今までは庶民は各々の家で葬式(遺体の処理)を行っていたのですが、お寺に任された事で、仏教の教えに沿った葬式がされるようになります。これが葬式の仏教化です。

もともと天国だとか地獄だとかは仏教の僧たちの世界でしたが、葬式の仏教化によって庶民にも仏教の教えが深く広まりました。つまり、「葬式=遺体を僧にする儀式」となった為、遺体に向かってお経を読むようになったんですね。

そうして檀家を構え、役所と化したお寺はどんどん権力を手にするようになってきました。檀家が反抗すれば、戸籍から外される(かけおち)ので、必然的に上下関係がはっきりしてきますし、より布施をした家が有難いとし檀家同士を競わせながら資金を獲得していきました。

お寺はより資金を集めるようにするには多くの檀家を抱えたいので、より庶民にも親しみやすい仏教(大乗仏教)が次々と派生しました。現在に受け継がれた仏教はこういった仏教なのです。

遣唐使が日本に持ってかえってきた仏教は奈良で南都六宗となり、東大寺や薬師寺などがありますが、これらは古来中国の仏教の教えに近く、厳しい修行を要します。その後、150年後に遣唐使が持って帰ってきたのは、様々な仏教宗派が融合した天台宗で、これは禅宗や密教、戒律を重きにおく心などを融合したハイブリッドな仏教として平安時代以降は大きく栄えました。そこから派生したのが浄土宗ですが、浄土宗はお経「南阿弥陀佛」を念じるだけで極楽浄土に行けるという宗教です。これなら普段は畑仕事で忙しい庶民にもできそうだとヒットし、さらにはそこから浄土真宗(現代日本で最もポピュラー)が派生し、唱える以前に阿弥陀如来(仏教の最高神)を信じるだけで救われると説きました。だんだんとハードルは下がってきましたね。

もちろん、もちろん、もちろん、簡単とは言っても庶民にとって分かりやすいという事で、深い教えが伝わる仏教のお坊さんというのはそんな簡単になれる職業ではなく、有難い存在であることには変わり在りません。

なので仏教とお金がどうしても結びついてしまうのは仕方のない事で、ここでは嫌らしく書きましたが(共感してもらう為にあえて…)、実は一概に悪いと言える訳でもないのです。

ですが、お布施をこの本覚寺のように、明らかにお金設けの為に、(教祖の)私利私欲の為に悪用されたケースもあるので、宗教というのはちゃんと知らないと恐ろしいものだという事も分かったはずです。

訴状。明覚寺(本覚寺)グループが訴訟を起こされた時の書類です。

この訴状の中にはこの本覚寺が働いてきた悪行の全て、弱みにつけこまれ財産を奪われた被害者たちの被害の内容が生々しく記されています。

この女性は、ご自身の命が危ないと脅され、先祖の供養代で3500万円を支払ったのだという。

この建物にはさらに奇妙な部屋がいくつか存在します。

この部屋には男性の名前と住所が書かれた紙があちらこちらに貼られています。本人が来れば恐怖でおののくことでしょう。

床の間には薬瓶の写真がずらり。

どうやらどこかの廃墟で薬瓶などレトロな物を盗み、インターネットオークションで出品していた所を廃墟マニアに見つかり、証されてしまったという所でしょうか。

その男性のものと思われるブログやヤフオクのアカウントまでも証されていました。

現在もそのブログやアカウントは存在しており、普通に更新・出品されていました。気づいたあらへんのかな?

他にも謎の文章が沢山…

どうやらこの寺は詐欺寺という名前のほかに森のブラ寺ともよばれていたみたいですね。

理由がこれ。さっき階段で鷲掴みしてたブラジャーやないか!

階段の踊場だというのに、天井にプラや大量の紙が。どうやって貼ったんやろ…。

さらに君の悪い部屋が続く

こちらは天井に無数にガーターがかけられており、何やら印刷された紙がやまほど壁に貼られています。

誰がどんな理由でこんな事をしたのかわかりませんが…

廃墟が荒らされている事はよくある話ですが、廃墟マニア(?)による廃墟のいたずらを見るのは初めてかもしれません。

鑑定士というのはこのお寺の詐欺霊能力者のことでしょうか。

明覚寺の袈裟。

こちらは部屋の中心に高そうな花瓶が。画になるような不気味なような。

少し離れにこのようなて建物があります。

中には数百~数千はあろうかという位牌が。これを金箔だと偽り数百万で売っていたそうです。

棚にズラリと並ぶ位牌を見て思ふ。。。

「金箔だとしてもたけーよ」

長年放置され湿気で棚はいがみ位牌はボロボロと崩れてきています。

一つ一つに名前が記されていて、それだけの数の信者がいたという事が伺えます。

周囲にもいくつか建物があり、それらは草木に覆われています。

大量に残された相談申込書。悩んで悩んですがりついた宗教…。

すがりついて信じた宗教が、実は詐欺集団で、自分も詐欺に加担していたかもしれない。そして後に裁判で解体させられる。信者にとってこんなに精神的にむごい事はありませんよ。

この1枚の相談用紙から悲劇が始まったのです。

感想・まとめ

本覚寺(通称:詐欺寺)は祈祷料・供養料の名目で悩める人から大金を奪っていた詐欺集団のアジトでした。今でも多くの書類が放棄されており、過去のこの寺の実態や被害の様子などを調べることができます。

本覚寺は詐欺寺として残りましたが、明覚寺は関西での詐欺行為の損害賠償金を支払う為、N氏が再び幹部へと返り咲き、そのまま16億かいくらかで売却してしまったそうです。

その他の道場も賃貸などを利用していたため引き払われ、元本山であった本覚寺のみが廃墟として残りました。

新興宗教に入っている身として、やはり感慨深いものがありました。この本覚寺から始まった事件も、オウム真理教から始まった事件も、二つの解散命令が出された教団は共に教祖が利益の為、地位名誉の為に狂った行為を行ってきました。No.2以降は真意を知らないのです。

大昔に出来た仏教やキリスト教のような宗教は教祖の考えを確かめようもありませんが、それと同じように、信仰宗教も教祖が亡くなった後は、真意を知らないNo2以降全ての団員が良かれ悪かれ一宗教として後世に受け継がれていきます。

かたや逮捕される教団、かたや永久に手を拝まれる宗教、何が違うのでしょう。日本人は皆、御守の効果を半信半疑で購入していますよね。100万の供養料はあかんくて、500円の御守は良いのでしょうか?窃盗は1円盗んでも1億盗んでも罪の重さは同じです。

もともとの仏教の教えは、病気をせず苦しみまなくていいという境地へと至る為の至高の哲学で、ちゃんと勉強すれば「宗教的な意味合いを抜きにしても」なんて素晴らしく深い教えなんだというようなことも多く書いてあります。

人間が人間らしく生きる為、そして他人と融通して幸せになっていく為の宗教なのに、信じる者を騙すという行為は許されるものではありません。

オウム事件やこの事件が起こった事で、日本人の宗教に対する不信感はより一層高まってしまいました。

仏教が生まれた紀元前5世紀頃から受け継がれていくうちに、よりその時代時代の都合の良いように解釈されていったという側面もあるでしょう。

この日本に脈々と受け継がれている、由緒正しい宗教であっても、もしかしたらどこかの開祖には、お金設けや権力ほしさの野心があったのかもしれません。我々と同じ人間ですから。


古都コトきょーとの管理人について
tamura
平成3年生まれ、京都に住むアウトドア好き。趣味は 登山/夜景/旅/スキー/キャンプ/Urbex など。Olympusユーザー。インコなど鳥が大好き。夜景山岳会所属。好奇心が強く、わくわくする所が好きです✨

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