古都コトイメージSmart
2019.09.20

下田富士屋ホテル - 歴史の港を眺める崩壊した廃ホテル

廃墟の情報

下田富士屋ホテル
静岡県下田市
廃墟ホテル

廢墟レポート vol.147:下田富士屋ホテル Shimoda Fujiya Hotel

こんにちはPerry Tamuraです。

今回は歴史の町、静岡県は下田市にやってきました。

下田市の下田港といえば、日米和親条約で真っ先に開港させられ、5年後に日米修好通商条約が締結されて横浜港が開港するまでの間、日本の玄関口として栄えました。

川端康成の名作「伊豆の踊子」では、踊子と「私」の旅で最後に到着する町として知られ、今でも聖地巡礼に訪れる方も多いかと思います。

そんな歴史の港、下田港の背にひっそりと佇む、どんよりとした雰囲気の廃墟ホテル「下田富士屋ホテル」が今回の主役です。

ホテルに関してはほとんど情報はなく、開業年も廃業年も詳しくは分かりません。

ホテル内にかかっていたカレンダーは1997年頃のもので、新聞は2005年あたりのものがありました。国土交通省による下田市における「遊休観光施設等の防災利用」の記録によると2004年の段階で老朽化が進んでいたという事で、やはり1997年頃かそのあたりに閉業したのではないでしょうか。

ホテルのロビーです。

和風のホテルかなとも思いましたが、洋風のシャンデリアや絨毯がありオシャレな感じ。

年代はホテルの造りから想像するのは難しいですが、昭和の中期くらいというのが妥当でしょうか。

ふわっと鼻の奥を刺激するカビの香りが蔓延しています。

いくらこの匂いを嗅いできても慣れる訳ではないけれど、この匂いがすると今自分が静粛の中に居るんだという安心感を感じます。

心霊スポットとしても知られ、度々テレビで心霊ホテルとして紹介されているようです。

実際は哀愁漂う昭和のレトロホテルって感じで、僕はとても好きな廃墟です。

下田芸者の人形がありました。

下田港は外国船開港以前から、日本の東西を結ぶ重要な拠点港として栄えていました。

船に乗るお役人さんを持て成す為に、礼儀作法と芸を持った女性たちが居ました。京都でいう舞妓さんのようなものですね。

ちなみに下田が開港後、ペリーが結んだ日米和親条約では貿易が出来ない為、下田に領事館を構えたタウンゼント・ハリスという人物が貿易のための条約締結に向けて幕府に要請をしていましたが、ストレスから持病が悪化してしまい世話人(看護婦)を求めました。

それを足止めのチャンスと捉えた幕府は、下田で最も人気のあった芸者の斎藤きち(唐人お吉)をハリスのもとに送り込みました。

結果、日本は不平等な日米修好通商条約を結ぶ事となったのですが、お吉の働きもあってハリスは日本文化への理解を示したといわれています。

後にお吉は「外国人に身売りした汚らわしい女」として後世に伝えられる事になりますが、きっと彼女のおかげで「超不平等!」から「まぁ不平等w」くらいまでは緩和されたのではないでしょうか!?

タスポのついてないたばこの自動販売機。

このホテル、モルタルの壁の塗装や老朽感がたまりません。

卓球台。小さな小部屋ですが、劣化具合がたまりませんね。

お風呂への階段。

こちらは女性用の風呂だったかな?とても可愛らしい小さなお風呂。

この階段が好きで、何度も撮影していました。

さきほどの構図とは逆で、明るい所から暗い所。恐怖と緩和のパターンですね。

さすがにこういう所に行きなれていると、世俗的な恐怖を抱く事は無いのですが、本能的に暗い所は不安(注意しなければならない等)を抱く点ではまさしく廃墟散策とは安心と恐怖のパターンをもった構図です。

廃墟サイトでは、写真という瞬間を切り取るものを利用しているので、何かを感じる瞬間より、美しい瞬間を切り取って紹介する場面が多いですが、散策の楽しみは知らない世界を知る事以外にも、自分自身の意識していない感情の起伏の部分に存在しています。

おなじような写真を撮って掲載してると思うかもしれませんが、こういう記事の書き方は僕の感じた緊張と緩和を追体験してるように感じて欲しいなぁという意図が含まれています。

こちらは大浴場。下田港が見渡せる展望風呂です。

お風呂の裏の階段を上っていくと、神子元(みこもと)という客室エリア。

廊下が崩壊して先に進めない…。

神子元とは、下田沖にある島の名前だそうです。

辛うじては入れた部屋は、屋根が崩れていて、中は緑の部屋になっていました。

とてもホテルの一室とは思えない光景!素晴らしい!

こちらも別の客室。夏の終わりだからか、まだ緑が綺麗です。

個室のお風呂。なかなか奇抜なカラータイルにビックリ。

こちらは宴会場。

ここの余興で芸者さんが躍っていたんでしょうか。

宴会場からさらに階段を上る。

可愛らしいレトロデザインから一変、離れはすごく暗い雰囲気でした。

レトロなテレビと電話機

神子元から、辨天島エリアに。

ちなみに説明が遅れましたが、二階ロビーから客室方面へは二つの通路で分かれていて、右側は神子元、左側が辨天島となっています。

ここはわりときれいだった洋室。

とある部屋の縁側。

緑に囲まれ素敵な空間になっていました。

外に出ると、急に現実に戻ってきたかのように大通りには多くの車が行きかっていました。

向かいには道の駅があり、大勢の観光客でにぎわっていました。

感想・まとめ

謎の多く残るホテルですが、ホテルの劣化具合や造りがとても味があって素敵なホテルでした。とても大きなホテルで、複雑に入り組んだ形状をしている為、開業当初から増築などをしているのかもしれません。

伊豆半島自体は日本のバブルの遺産ともいえるほどバブル時期に繁栄し、バブルと共に衰退した地域で、ここ下田市でもちょうどバブルが始まった1987年に観客数はピークの626万人を記録しましたが、現在は200万人台まで減少しています。

観光客増加を見越して建てられた多くのホテルがバブル崩壊後に次々と閉業し、このホテルもそんな伊豆が受けた時代の荒波を超えられなかったホテルの一つです。

有名な箱根の富士屋ホテルと何か関係があるのか調べましたが、公式の情報で1998年当時まで遡って調べても関係性はなかったので、無関係でした。



古都コトきょーとの管理人について
tamura
平成3年生まれ、京都に住むアウトドア好き。趣味は 登山/夜景/旅/スキー/キャンプ/Urbex など。Olympusユーザー。インコなど鳥が大好き。夜景山岳会所属。好奇心が強く、わくわくする所が好きです✨

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