木沢分校 – 幽寂の森の封印された廃学び舎

廃墟の情報
廢墟レポート vol.110:山奥の封鎖廃校 A blocked old school

こんにちはtamuraです。
今回やってきたのはとある山奥の廃村に残る、分校の廃校にやってきました。閉校前は僻地等級4級に指定されていた陸の孤島に存在します。
昭和35年頃は20世帯、100人以上の人口があり、水田が広がる美しい山村集落でした。主要な産業は炭の製造でしたが、1960年台にエネルギー革命が起こり炭から石油やガスへと需要が移った事で炭産業が衰退し、約40年前に集団離村で村人は山を降り定住者が0人となりました。
かつて人が生活を営んでいた集落は現在定住者はおらず、田圃が広がっていた平地は今ではすすきが生える湿地帯となり人の世界とは隔離されたような世界が広がっています。

校庭にある百葉箱。はじめてきたときには屋根もあったと思いますが、それも朽ちて落ちたのかなくなっていました。
この廃村は好きで何度も来たことがあったのですが、これまでこの廃校は全面にトタンが張り詰められており、中を除く事すら出来ない封印された廃校でした。
木沢分校という名前は校舎内に書かれていたものを使用しているのですが、正式には「○○小学校○○木沢分校」というようで(それか旧名かも?)、通称○○分校と言われています。
分校名は2つの集落の名前の頭文字をとり名付けられました。開校当時は2つの集落を隔てる峠の付近にあったそうですが、後に2度移動があり現在の場所に建てられました。

校庭で朽ち果てる草ヒロ(バイクでも草ヒロというのかな?)。
小さな谷部の盆地なので、学校も小さな小さな校庭です。小学校3年生までは運動会は無く、4年生になって初めて本校(この学校は分校)の運動会に参加していたようです。
本校までは山を降りなければならず、大人の足でも3時間はかかると言われていて、往復で草履が2つは必要だったようです。

閉校前に建てられた卒業記念の石碑。
閉校からすでに半世紀近く経っており、早くから過疎化が進んだようですね。
校舎裏には土葬を行っていたという墓地が広がっています。棺桶は座る形の丸桶だったようです。

廃校の体育館。屋根が剥がれ基礎がむき出しに。床は崩れかかっており中には入りませんでした。

今は裏手から校舎内に入ることができました。

窓はすべてトタンで覆われているので隙間から微かに差し込む光のみの暗く閉ざされた内部です。

昔は「生水には気をつけて」と良く言われていましたね。
井戸の水、川の水、湧き水等々、どれだけ色が済んでいて無味無臭でも生の水には何が混入しているかわかりません。
この集落では人糞処理で畑に養分として撒いていたというので、井戸水でも大腸菌や病原菌が含まれていたのかもしれません。
病院のない山奥の集落ではひとたび病気になると命取りだったのでしょうね。

一つだけ大きな教室があり、机や椅子などが残されていました。

残っているのはたったこれだけで残留物は非常に少ないです。

低学年用の椅子なのか、非常に小さく可愛らしい形です。
たしかにここで子どもたちが学んでいた過去があったんだなぁと思うと、変わり果てた姿を見ると切なく感じました。

子供の頃は1年先も5年先も長く思えて、半世紀先なんて本当に来るのかな?なんて感覚でしたが、最後にこの学校を卒業していった人も、もう還暦に近い。
確かに過ぎ去った時間を、ここではまじまじと感じる事ができました。

閉校前はどんな光景だったんだろう。どんな子どもたちがここで学んでいたんだろう。

集落はどんな人達が住んでいたんだろう。言葉も離れた外界とは違うのだろうか?
この集落は家紋が源氏、平氏のものに別れていて落ち武者が住み着いたのが始まりと言われているそうです。

ちなみにずっと休校扱いだったものが、最近自治体によって廃校が決定されました。
今年になり解体工事委託の情報が出ているので、もう解体が近いのかもしれません。

休校から半世紀経過しているので建物は傷んでおり、再生利用も不可能なので当然の事かもしれませんが、人々がここで生活していたという証であり学校というのは特別な価値を持つものなので、とても寂しく思います。
中へ入れなくても、廃校があるから…という理由でここを訪れた人も多いハズ。僕もその一人で、廃村の中でも”学校校舎”が残る場所というのは特別な魅力があるのです。

廃校はロマンを求めてやってくる人々の最大の見どころなんですけどね~。

道路標識のお勉強。街へ出るときは覚えておかないといけませんでしたからね!

机の上には当時の新聞が。

昭和45年9月13日のもの。この村では新聞を取っても一日遅れで届いたそうです。

隣の部屋、小さな部屋ですが何に使っていたのかわからず。ストーブの煙突が横たわっているのみでした。

その横の教室。先生用の大きな机が一つのこるのみ。窓には蜘蛛の巣が張っていました。

表彰状や校歌(?)や学校行事の書かれた黒板。

職員室でしょうか。広い部屋。ちなみに扉に穴があいている所も前に来たときはふさがっていたので、誰かが中に入るために壊したのでしょうか。

給食室。ここだけ新しいのか木造ではなくモルタル製で綺麗に残っています。

給食を作るためのかまど。

屋根の骨組みが珍しかったので撮影。こうやって作られているんだ!
感想・まとめ
ずっと入れないと思っていた廃校の中をようやく見ることが出来ました。外見からは想像できないほど中は学校らしさが残っていて、月日がたった木造校舎の色合いはとても切なくそしてロマンにあふれていました。少ないですが机や椅子などの残留物があり撮影が楽しかったです。
村についての記録を読んでいくと、昔話の「むかーしむかし」そのものを見ているようでした。絵本やアニメで想像していた「昔」というaboutな世界はというのはこういう所だったんだな~。牛を一軒に一頭を買っていて農業の足として使う、病院や集会は片道3時間もかかる山を下って行く、狩りを行いその肉を食べる、風呂は習慣的に入らなかった、土葬の習慣が最後まで残っていた等々、生活するということが都市部とは比べ物にならないほど大変でした。
残念ながら廃校は解体されそうですが、それでもこの地区が好きなのでまた何度でも訪れたいと思っています。


