古都コトイメージSmart

2009.04.29

幻の遊園地「サニーランド蛇ノ島」と廃洋館

サニーランド蛇ノ島の旧赤十字病院

この廃墟について

サニーランド蛇ノ島(じゃのしま)とは、岩手県盛岡市に存在すした遊園地跡地。1967年に開園し、オープン当初は賑わいをみせていて、ごく一部の年代では知っている人も存在するが、それ以外からの認知度は全く無い。わずか3年後の1970年に閉園する事となるが、その原因は謎に包まれている。

当時の遊具はほとんどが取り壊されており、遊園地跡である中州はほぼ森となっている。唯一、当時レストラン、事務所として使われていた旧日本赤十字社岩手県支部の洋館が残されており、当時のサニーランドのシンボルマークが現在も残されている。



廢墟レポート vol.1:サニーランド蛇ノ島 Sunnyland Janoshima

これはこのサイトが誕生するずっと前、私が初めてこの地を訪問した時の探索記録。

2005年春。イーハトーブに降り立った私は大きく深呼吸した。遠くにはこの地方隋一の半独立峰が聳え、頂きには真っ白な雪を纏っているのが見える。

山から吹くカラっと乾いた空気は心地よく、空には慌ただしく白鳥の群れが舞っている。越冬を終え、遠い北の国へと帰る旅支度をしているのだろうか。

ひょんな事から、半世紀前にわずか3年間だけ存在した幻の遊園地「サニーランド蛇ノ島」跡地について話を聞く事があり、興味を持った私は意を決して訪問を決め、この地にやってきたのだった。

それはイーハトーブのモリーオという都市にあった。街を二分する大きな川が流れており、街道沿いにあるカミードという町から中州に通ずる橋がかかっているらしい。その中州(蛇ノ島)にモリーオで初めて作られた遊園地「サニーランド」は存在した。

すぐ横の街道からは中州の姿は見えず、対岸からも見える場所はほとんどなく「蛇ノ島」という中州は、まるで空白の地域といってもいいほど地元ですら知名度は低かった。

サニーランド蛇ノ島というのは1967年に開園し、わずか3年で閉園してしまったという幻の遊園地である。3年という期間ですが、当時は賑わいをみせていたようで、一部の年代では知っている人も存在するが、なぜ閉業したかを知ってるものは居ない。

有名な噂の一つとして幼児の死亡事故があり、嘘か本当か、ケーブルかゴンドラか何かのモーター部分をのぞき込んだ子供(たしか女の子)の首に鎖が絡まりそのまま子供の頭をちぎってしまった…という凄惨な事故。

2000年頃のインターネットでは、サニーランドは心霊スポットとして紹介されており、そのような噂が書き込まれていたが証拠や記録は見られなく、よくあるデマ情報であると思われる。

上の地図は、いずれも営業当時の測量図と航空写真。左の測量図の蛇の文字の上に斜線が引いてあり、そこがロープウェイ(索道)だった。「リフト等」の地図記号である斜交いの点があるが、距離が短い為1つしかなく分かりにくいかもしれない。

カミードの町にやってきた。当然ながら現地に看板等は存在しない。かつては遊園地まで通じる二本の橋とケーブルカーが存在したが、現在は橋が一本残るのみで、その入り口も目印がなく分かりにくい。

写真の七福神、布袋様の石造は入り口付近に存在し、私が次に再訪する時の為に目印としたものである。

先ほどの布袋様の石造の向かいから、坂を降りてきた。

国道側(上堂)と蛇ノ島は標高差があり、川岸は崖になっている。

この道には常に使われているであろうわだちが存在していた、たまに白い軽にのった人を見かける事があった。

ちなみにこの道は、サニーランドが出来る前、この中州がただの農地だった頃から存在する旧道である。

坂を下りきってちょっと進むと小さな橋があり、それを超えると蛇ノ島に上陸となる。

川は三馬橋を過ぎると大きく左に流路がカーブする。カーブした所に蛇ノ島があり、島を避けるように分流し、中州の下流側末端部で再び合流する。文字通り中州である。

中州といっても、上の写真のように、カミード側の川は非常に狭く数mの幅しかない。そのため往来がしやすく、島は古くから農地として利用されていたようだ。

渡ってすぐの所にある恐らくプールの跡は唯一現存する遊戯跡地である。冬はスケートリンクとして使用されていた。

サニーランドは、1960年代のマイカーブームや都市開発で子供の遊び場がなくなった事から、子供たちの新しい遊び場を…のびのび遊べる所を作りたい!という事で開園したという。

遊園地はジェットコースター、ゴーカート、コーヒーカップ、ウォータースライダー付きプール、動物園、汽車などがあり、子供の夢の場所だったようで、当時を知る人たちは「楽しかった」と口を揃える。

そしてこれが、今回の目的。中州に眠る廃洋館。

現在、遊園地跡地は当時の遊具は撤去されており、敷地内はほぼ森と化していて、その森の中にぽつりと廃墟のようにも見える洋館が残されている。その洋館は、1911年に内丸に建設された旧日本赤十字社岩手県支部だそうで、ちょうど建て替えの時期にサニーランドが開園する事となり、この場所に移築したという。当時はレストハウスや遊園地事務所として使用されていた。

10年以上前からこの建物を知っている方にとっては「ブルー・シャトウ」という名称のほうがしっくりくるかもしれない。とあるサイトがそう呼んでいて「青くないのになぜブルーなのだろう」と疑問に思いつつも、妙にしっくりくるネーミングなのが印象的だった。

「森と泉に かこまれて 静かに眠る ブルー ブルー ブルー シャトウ♪」

プールは何もないのでスルーして建物の正面へ向かい進みます。

これが現蛇ノ島に残されている唯一の建物です。今から100年以上も前、1911年に建設された日本赤十字社岩手県支部の建物を移動したものだそうで、廃墟っぽいですが何者かによって管理はされている模様。「森の洋館」という言葉が良く似合います。

周りには多くの犬が放し飼い?してあり、人の気配を感じると一斉に吼え始めます。この洋館へは何度か行ってますが、どうやら毎回犬の数が違うような気がします。初めて行った時と2回目行った時は数えきれない位の犬の声が聞こえびっくりしたのですが、3回目行った時にはそっと行ったせいか全く犬の声が聞こえなかったのです。その後、足音をばたばたさせても全く音が聞こえない…。4回目、5回目の時は1~2匹の犬の声しかしなかったのを覚えています。

不思議に思った我々は、行ける所まで潜入しようと、洋館~プール跡間の東側にある鎖のかかった分岐を進むと、深い草むら、そして錆びた車の残骸があり、さらに行ける所まで奥へ進むと犬の駕籠が大量に積み上げられていたのを覚えています。

飼い主がいなくなった犬がここへ連れてこられ、殺されているのではないか、食用にされているのではなど色々な話がありましたが、実際の所は「蛇ノ島愛犬クラブ」という団体?がここで犬の繁殖をしているそうで、犬の声が聞こえなかった時はたまたま家の周りに犬がいなかったのかもしれません。しかし、その愛犬クラブは検索しても出て来ず、実際にあるのかどうか分からない団体です。廃墟のようにも見えるが、女性が住んでいるらしい。

古くから知られていましたが、この場所があまり話題にならなかったのは、この犬の鳴き声が原因だと思います。運が悪い時には島に入ってすぐに沢山の犬が吠え始めるので、なかなか中に入りにくいんですよね。

1960年に公開された、三國連太郎主演の「大いなる旅路」で盛岡警察署としてロケ地に使用されており、この建物の内部かと思われるシーンも写っている。

さらに奥へ向がありそうやったので進んでみる。残骸を探そうにも草木が…

この奥まで行きましたが、草木が酷く先へ行けませんでしたが、この先が国道から出ていたゴンドラ?ロープウェイ?の発着駅跡地です。今は存在せず、ただの森となっています。運営当時行った事のある方も閉園の真相やここが今どうなってるのか知らず「楽しかった思い出がある」と口をそろえるのみ。犬が大勢いて人間に気づくと周囲に響き渡るほど吠えるのと、草が深く生えている為に奥まで散策へ行く人はおらず、残っていると噂されるジェットコースターやコーヒーカップなどの遊具の残骸は本当になるのかもいまだ分かりません。今から30~40年前は廃遊園地として廃墟好きが訪れていたそうだがなんせネットもデジタルカメラもなかったような時代なのでネットに上げられる情報はごくごく一部のみ。半世紀前の遊園地で3年しか営業してないわけですからそのネットに出ている情報も宛にならなくて…誰か詳しい事知っている方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

はぁ、散策はとても神経を使うし、疲れるね。盛岡にも天下一品があるという事で入ったら、本家京都の5倍くらいコッテリだった。マッハランドでボーリングして帰ったのは良い思い出です。帰りはもう一つの目的地だった花巻市の宮沢賢治記念館に行き、無料で映画を見せてもらいました。

岩手県って、どことなく違う国のような、異国情緒のようなものを感じます。宮沢賢治の書く小説の世界観、岩手を表現したイーハトーヴォという言葉からくるイメージと、西日本とは違った自然の風景や、言葉の違い、其処彼処に現れるアイヌ語由来の言葉、空気の違いなどがそう感じさせるのでしょうか。北欧と日本を足して二で割ったような?特別な世界観のある本当に美しい町でした。

感想・まとめ

1960年代、第一次ベビーブーム世代が結婚適齢期を迎えた事による住宅地の需要の増加が懸念され、明治から終戦まで練兵場があった「観武ヶ原(現在の青山、月ヶ丘、みたけ、滝沢市の一部)」という今では巨大な住宅地となっている地域の再開発が行われていました。

「盛岡市みたけ」に存在する県立運動公園は、1970年に行われる第25回の国体「みちのく国体」の開場とする為に、サニーランド蛇ノ島が出来る前の年(1966年)に建設され開場しており、その年に東北電力高松変電所から送電線が引かれました。その際に北上川を渡る中継点が蛇ノ島にありました。当時の蛇ノ島は畑が広がる所でした。

サニーランドの開設・運営には岩手県の政治家が関わっており、このみたけ地区の都市開発の一環として、地域のブランディング効果を狙い、テーマパークを建設したのではないかと思われます。

こういった都市開発の為のテーマパークは当時流行った手法であり、都市開発や観光客誘致の切り札として日本各地で見られました。廃墟として知られた奈良ドリームランド(奈良市北部開発/近鉄)や、今も存在するヒラパー(枚方市開発/京阪電鉄)なども同じように都市開発の為に作られたものでした。家族連れが住みやすい町を連想させ、地域に良いイメージをあたえるからです。

しかし、こういったテーマパークは存続が難しく、日本の多くのテーマパークはサニーランドと同じく閉業していきました。

また、遊園地が出来た翌年には、すぐ上流に四十四田(しじゅうしだ)ダムが竣工しました。四十四田ダムは、北上川の洪水対策の為に整備された北上川5大ダムの一つで、最も上流に位置するものです。盛岡市では大雨が降ったりして、計画以上の貯水量を超える時は、その超えた分をそのまま緊急放流を行い、市内でもそれを知らせるサイレンやアナウンスが流れます。その時は北上川の河川敷や河川に入ってはなりません。

遊園地があった蛇ノ島は北上川の中州であり、ダム建設後の法整備などで経営出来なくなったという可能性もあると思います。

蛇ノ島に渡る橋は、上の写真を見てもらったら分かるように川との距離は2mもなく、氾濫時は非常に危険で、過去には蛇ノ島に住んでいる方がレスキュー隊に救助された事もあるという。

簡単に廃業、閉園した理由(可能性)をいつくか並べると、①町の発展に期待したが、客足が伸び悩んだ。②ダム建設による水害の危険、または法整備によって存続できなくなった。③ゴンドラの噂。

といった所でしょうか。③は可能性としてはかなり薄く、①と②のどちらかの可能性が高そうです。

1972年には、盛岡市東部にある岩山に「岩山パークランド」という遊園地が建設されました。サニーランド閉業からわずか2年後なのですが、こちらは現在も現役で運営しております。このことから盛岡のレジャー観光において遊園地の需要が無いという事はなく、サニーランドが本当に客足が減って閉業したのかが気になる所です。

ちなみに1970年にサニーランドが閉業後すぐの、1973年に盛岡市環境保護地区の第一号に指定されました。盛岡市保全条例に基づき、現在は島内において建築物の建築や木竹伐採等をするには届け出が必要となっています。

蛇ノ島という名称は、昭和初期まで蛇が多く生息していたことに由来するといい、蛇にまつわる伝説「蛇の島弁天」が古くから存在しています。

当時のサニーランドについて詳しい方、また現状について何かご存じの方はお問い合わせより、情報を頂けると嬉しいです。

山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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