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2018.01.01

杵島炭鉱第四坑通風坑

杵島炭鉱第四坑通風坑

廃墟の情報

杵島炭鉱第四坑通風坑
炭鉱跡
場所 佐賀県大町町
建築 1918年
廃墟化 1969年


廢墟レポート vol.76:杵島炭鉱第四坑通風坑 Vent hole of Kishima Coal mine

 こんにちはtamuraです。

 今回やってきたのは佐賀県大町町にある杵島炭鉱第4抗にあったコンクリート製の通風坑跡地です。

 池のほとり車を停め、歩いて30秒ほどで到着します。

 杵島炭鉱というのは佐賀県杵島郡にあった県下屈指の大きな炭鉱でした。最盛期の1919年頃には年間58万トンもの出炭量を誇りましたが、1960年以降貿易の自由化により海外からの安い炭鉱に需要を奪われ1969年に閉山となりました。

 この地中から顔を出した潜水艦のような建物は、そんな杵島鉱山の第四坑にあった通風坑の跡地なのです。

 明治以降の西洋から影響を受けた独特のコンクリート建築と、周囲を囲む草や木々が時の経過を感じさせ、とても神秘的な雰囲気を醸し出しています。

 大きな木に蔦がはりついていて不思議な感じ。

 通風坑とは文字通り鉱山の中に新鮮な空気を送り込むための施設で、鉱山の中は作業する人の呼吸や内部の鉱物の酸化により著しい酸素不足が生じるのでその対策、坑内冷却や有毒ガスの希薄化の為このような施設が必要でした。

 当時はここに大きなモーターが設置され巨大な換気扇が置かれていたのでしょうか。

 町内ではレンガ作りの変電所後が町のシンボルとして再利用されていますが、このように忘れられた荒廃した建築物も趣があって好きです。

 奥に入ると、二つの吸入口と大きな柱がどこか神殿のような雰囲気を感じさせます。

 小さい施設でしたが来てよかった・・・。

 写真だけ見ると、どこに通じているんだろう・・・そんなワクワクするような場所です。

 この先は封鎖されていますが、かつては深い深い坑内へと続いていたのです。現在でもこの奥底には坑道が残っているのでしょうか。

感想・まとめ

 大町町は1940年台から70年台までの鉱山最盛期は人口20000人を超え建物の半数以上は鉱山住宅だったそうです。現在は閉山から急速に人口が減少し6000人台まで落ち込みました。この廃墟の他、レンガ作りの変電所跡や、周辺には最盛期に構築された町並みを未だに見ることができるとてもロマンの溢れた町です。

山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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