神崎煉瓦ホフマン式輪窯
レジャー概要
神崎煉瓦ホフマン式輪窯
舞鶴の西神崎にあるホフマン窯の跡地にやってきました。海水浴場付近からのろのろ走って探し中。
お墓の敷地内に入ってきて…合ってるのかな。
なにかの会社に行きつきました。いやしかし看板はこの道を指してたので中へ入ってみるコトに。
あった!人が居たら許可もらえばいいやと思っていましたが、散策中誰にも出会いませんでした。
明治30年に京都竹村丹後製窯所が設立されました。当初は直線状の登り窯だったそうですが、大正末期頃にはホフマン式の形になってたといいます。
ホフマン式というのは、ドイツ人技師のフリードリヒ・ホフマンが発明した窯を環状に配置して、連続して煉瓦を製造できるようにした形式で、一つの区画で焼き上がると、また次の区画に火をうつす、余熱と乾燥→焼成→冷却を何周も繰り返してゆくレンガの製法を可能にしました。
現在では日本に四基しか残っておらず、その中で稼働しているものはありません。この神崎ホフマン窯も日本の近代化を支えてきた重要な文化財です。
環状型の先端。反対側もこのようになっており、内部は一周する構造になっています。
昭和33年には需要が減ったことと原材料の枯渇などにより運営を停止。その後は管理会社が点々とするなどして、解体はされずとも廃墟化していましたが、現在は舞鶴文化教育財団に管理が移り修復作業の後、保存されることになりました。最低限の部分だけが残り、あとは撤去され見ごたえは無くなりました。歴史を知るという意味では実際に見る価値はあると思います。
見学できる部分がありました。
天井はくりぬかれ崩れてくる心配はありません。また内部を覗くことはできますが、入っていくことはできません。
窯内部。綺麗に残っていますね。
カーブの部分。下には当時焼いていたものでしょうか。何かおいてました。
これで一周。そのまま放置されていた姿を見たかったですが、管理されていて安全対策もされているので誰でも気軽に見学できるようになっています。
感想・まとめ
現在は、コンクリートブロックを作っている会社の敷地内にあり、レンガを作っていた名残なのかな?とも思いましたがどうなんでしょう。