紅葉の白山登山!砂防新道ルート-御前峰・お池巡り

レジャー概要
メンバー

霊峰白山、大汝峰から望む御前峰と剣が峰は絶景。

本日やってきたのは霊峰白山。
北陸最高峰であり日本最西端の高山です。富士山、立山とともに日本三名山にも選ばれており、山頂は御前峰(2,702m)、大汝峰(2,684m)、剣が峰(2,677m)の三つのピークで構成されています。またそれらのピークに囲まれるように大小七つの池がありそれらを巡る事を「お池巡り」と言い、白山の見どころとなっています。
日本三名山に選ばれているのは
京都から250kmない位で最も行きやすい所なので関西からでも日帰りで気軽に行きやすい高山です。今回は別当出会からスタートです。交通規制のる区域ですが平日で解除中でしたので別当出会駐車場まで車で入っていきます。

別当出会の駐車場から別当出会のビジターセンター?まで10分ない位。
和の水洗トイレがあり、建物内に登山届けの紙と鉛筆が用意されています。


最初の休憩場所は中飯場。最初の急な坂道で疲れた足を5分ほど癒します。
今回はひとりという事もあり、ペースも息切れしない程度にいつもより早めです。
過去数回の高山登山より、高山病の症状がほとんど感じる事がなかった為、休憩を少なめに(各ポイントで5分~10分)登ってみる事にします。





いや~すごい所にありますね。ちなみに小屋の奥に見えているピーク?に黒ボコがありそれを超えると弥陀ヶ原という草原に出ます。あそこまで行けば目の前に御前峰の山体が大きく見え周囲の景色が一変します。

甚之助避難小屋は展望最高。別山~三ノ峰、チブリ尾根が見渡せます。
いやー高いですね。関西にはない重厚感。白山は活火山ですが、山体すべてが溶岩でできたものではなく、現在の日本がアジア大陸から分離する地殻変動を経て出来上がった1500~2000mの山体(丘陵)からマグマが噴出し蓄積され出来上がったのが白山です。(後述)




振り返ると別山に雲がかかっていて焦りました。これはヤバイ…雲が上がってきてる!
下山者に「上は雲掛かってきてます~?」と訊ねると「今上がればまだ大丈夫!」と帰ってきたので、その言葉を信じて少々足に無理をかけてスピードアップ。

黒ボコ。もう周囲は真っ白やないか~い!
黒ボコは、新白山火山の噴火の火砕流によって流されてきたものと考えられています。ちなみに50年ほど前にはこの大岩はあと一つあり、1961年の北美濃地震で一つが転げ落ち粉砕しました。








室堂で休憩し、御前峰まで一気に登っていきます。この登りはしんどいようですぐです。


山頂碑で記念撮影。皆さまで撮り合いな感じで、僕も何人かに頼まれて写真撮影をしたらお返しにと撮影して頂きました。おかげで三脚出さずに済みました、ありがとうございます!


剣ヶ峰、大汝峰方面は空も澄み渡って綺麗です。





剣ヶ峰を目の前に下っていきます。
剣が峰は剣が峰や大汝峰とは違い刺々しい印象を受けます。これは30~40万年の歴史がある白山の中で、2200年前という比較的新しい時代に形成されたものだからだといいます。

御前峰を見上げる。急坂を下ってきたので迫力があります。
剣が峰は剣が峰や大汝峰とは違い刺々しい印象を受けます。これは30~40万年の歴史がある白山の中で、2200年前という比較的新しい時代に形成されたものだからだといいます。
約5000年前前後は白山の山頂は現在の御前峰ではなく少し北の方にありました。その山頂は室堂から御前峰への斜面をもう少し伸ばしたあたり、つまり2800~2900mの標高がといわれており、その山頂部は東側の斜面へ大崩壊を起こし大白川の方まで岩屑が流れていきました。
崩壊後に残った一部が現在の御前峰と大汝峰で、その後も噴火は続き噴火口に水をたたえたのが現在の火口湖、溶岩が大白川方面へ何度か流出し、溶岩が流れた後に形成された溶岩円頂丘が剣が峰という訳です。また御前峰の北側斜面が急な下りになっているのは崩壊の跡という訳ですね。

紺屋ヶ池と剣ヶ峰。
なんだか周囲の岩が大きいからか写真やと池が小さく見えますが、実は池の横に人が写っておりまして、比較すると池が結構大きい事が分かります。


翠ヶ池と大汝峰。
1042年(長久3)、噴火により翠ヶ池ができたという記述があるそうです。また1547年(天文16年)から1659年(万治2)にかけて10回以上の噴火があったとの記録があります。全体的に見ると歴史時代(西暦)に入ってから300年前後の周期で白山の噴火記録があり、最後の噴火から360年ほどたってる今、そろそろ噴火があってもおかしくないといわれています。



山頂には大汝神社があります。


デデーーーン。雲の間から姿を現しました。
大汝峰だけ少し離れた位置にあるので二つのピークがかっこよく見えるんです。

地獄谷方面。
白山は30~40万年の歴史から見ると古白山火山、新白山火山とに分けられます。現在の白山山頂と言われるのは新白山で、翠ヶ池などといった火口湖があり火口周辺には多くの噴石が散乱している事から激しい火山活動があった事を物語っています。
新白山からの噴火は多くが室堂や大白川など南部~東部にかけて溶岩を噴出しましたが、広範囲の調査から見ると現在の新白山からではない所から噴出したと考えられるものがあります。
それが写真の地獄谷方面を中心とした場所で、かつては崩壊前の新白山より高い3000mを超えた山体があったと考えられています。現在その場所は標高1500mほどまで深く掘り下がっておりとても過去に3000mの山があったようには想像がつかないですが、長い年月を経て跡形もなく浸食されてしまい、現在の山体が新白山として残りました。

下山して千蛇ヶ池。ここは万年雪だそうです。
この池は後の記事に出てくる蛇塚と関係があります。白山を開山した泰澄という人物と、昔白山に住んでいた3000匹のおろちの伝説です。
昔、白山には3000匹と言われるおろちが住んでいました。おろちたちはふもとの村まで下りては畑を荒らしたり家畜を襲うなど悪い事ばかりをしていました。
このおろち達の行いを知った泰澄は3000匹のおろちを集め、悪いことをしないよう諭しました。そのうち1000匹は山頂の池に住むように言いつけ、1000匹のおろちが入るとその上から万年雪のふたをしてしまいました。今も万年雪の下はおろちが住んでおり雪が解けておろちが出そうになると池の上にある御宝庫(写真池の後ろの山体ピーク)が崩れ落ち池にふたをしてしまうようにしたそうです。
残りの2000匹のうち1000匹は、刈込池に住むように言いつけこの刈込池の北側にある剣ヶ岩(1,670m)の大岩に剣をさし池に写す事で池に棲むおろちを封じ込めました。残りの1000匹については蛇塚の記事にて(後述)






蛇塚に到着。
こちら千蛇が池のおろち伝説の続きですが、3000匹のうち残りの1000匹についてはどうしても言う事を聞かなかった為、この地におろちを埋めて沢山の石を積み上げた所と言われています。











感想・まとめ
初めての一人高山に選んだ霊峰白山。以前から気にはなっていたもののなかなか機会がなく、さらに御獄の噴火の事もあり親や親戚に「火山はお願いやから行かないで」と言われ、富士山でもボチボチ怒られてた所でしたw。
今回は「今度行く山、火山やねんけど最後に噴火したんが万治2年やから許して!」と親に登山許可を要請。「万治ていつやねん!」と言われつつも紅葉時期のいま行けば絶景が見れると意気揚々と石川へ向けて走りました。
もちろん運頼みにはなるものの、記事中に一部(歴史の部分)ですがさっと盛り込みましたが勉強をしまして、なぜ白山が危ないのか、どのように危ないのか、念のための最低限の準備などをした上で白山登山に挑みました。
正直、2700m級の山であればアルプスのほうが凄いやろうとあまり期待していなかったのですが、予想を凌ぐ大絶景が待ってました。紅葉はもちろん山頂の雰囲気や池などやはり高山はいいなと感動しました。
白山周辺の山にも興味を持ったので機会があれば別山や三ノ峰、経ヶ峰、赤兎なども挑戦してみたいです。