金糞岳 – 滋賀県二峰!製鉄・鍛冶の歴史が眠る山
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滋賀県第2峰!製鉄・鍛冶の歴史が眠る山
こんにちはtamuraです!
今回は滋賀県長浜市にあり、伊吹山地に属する金糞岳(かなくそ だけ)にやってきました。
ずっと気にはなっていたものの、距離が遠いのと、鳥越峠あたりから登るとすぐ登れてしまうというので後回しにしていましたが、雪の時期なら気軽に霧氷などが見れるのではないかという事で行ってきました!
行ける所まで車を進めていると、鳥越峠の手前で車が雪にハマってしまったので、バックして鳥越峠の手前に駐車しスタートしました。
金糞岳という名前がなぜ「糞」という文字が?という事が気になりますよね!19世紀の古地図では「カナスソガ嶽」と呼ばれていたという記録があります。
琵琶湖周辺の山々には鉄鉱石が多くあり、古代より製鉄が盛んだったそうです。カナクソという言葉は、鉱石を溶精する際に分離して生じる金屎(かなくそ)から来ているとされています。鉱滓やスラグなどともいわれますね。すなわち、金とは「鉄」の事を指しているのです。
伊吹山や金糞岳あたりには、その昔、日本書紀において息長氏(おきながうじ)という豪族が住んでいたという記録があります。息長氏は天皇家とのゆかり(血縁)もある製鉄・鍛冶の技術を持った一族で、かつては伊吹山の麓あたりには製鉄・鍛冶に関する地名が残されてたそうで(タタレン、穴伏、金神山、焼尾等)、鎌倉時代には鍛冶屋が軒を連ねていたそうです。現在でも金糞岳の長浜市側の麓には「長浜市鍛冶屋町」という地名が残っております。この町で作られた槍を「草野槍」といい豊臣秀吉に献上していたという伝承があります。その槍が賤ケ岳の戦いで豊臣秀吉側の勝利に貢献し、その祝いとして「太鼓祭り」というお祭りが存在します。他にも比良山地に金糞峠というのがあり、金糞岳の北部にある金草山もかつては「金糞ヶ岳」といわれていたので、このあたりが製鉄・鍛冶の歴史のある土地である事は間違いありません。
ギリシャ神話や日本書紀、タナハ(旧約聖書)は似通っている所も多く、息長氏の記録の部分については渡来人によるシルクロードより辿って日本へ伝来した伝説の一つかもしれません。ギリシャ神話のアフロディテ(ビーナス)の夫のヘパイストスは鍛冶の神とされますが、はるか元を辿れば関連があったら面白いですね。伝説と共に伝来した製鉄の技術が後に息長氏の手によってこの地で発展したという事もあり得ます。古事記には百済や新羅との交渉の場でタタラ(製鉄)などの言葉が出てくるので製鉄技術は朝鮮半島から日本に伝来したと思われます。ただし、調べたら息長氏は新撰姓氏録によると皇別氏族に分類されており、帰化人ではないとされています。息長氏は日本に製鉄を伝来した人物ではなく、何らかの過程で技術を得てこの地で繁栄したという事でしょうか。ちなみに長浜の鍛冶屋町の技術の起源は大和国(奈良県)にあるとされています。詳しく記載されている書物がなく謎多き伝説の一族です。
ともあれ、鉄器文化の発祥であるヒッタイトより、長い年月をかけて日本に伝来し、日本書紀の時代から昭和初期までこの地で製鉄事業が行われた土地と考えると、歴史の地を歩いている気がして面白かったです。
さて金糞岳の由来の本題ですが、昔は製鉄の時に生じた鉄滓を捨てる所を「金糞」と読んでいました。伊吹山や金糞山の麓あたりに製鉄所があったと考えると、少し離れたこの地に鉄滓を捨てるようになり、後に「金糞を捨てる山=金糞岳」となったのでしょう。
お裾分けという言葉で使われる「すそ」は、着物のすそのことを指しますが、地面に触れそうな場所にあり汚れやすい場所にあるのなので末端、下の方を意味し、転じて「つまらないもの(分け)」という意味になりました。「つまらない」とは、バカバカしいという意味の他にも、値打ちがない・取るに足らないといった意味もあります。カナスソというのは金の製鉄の中で出てくる汚い物(捨てるもの・値打ちがないもの)となり、カナスソを捨てる山=カナスソガ嶽と昔は呼ばれていたのではないでしょうか?
長くなりましたが、登山へ進みましょう!
駐車箇所から少し行くと、もう雪が積もっています。
鳥越峠に向かっていると、キツネの足跡を見つけた!
誰も歩いていない雪山では、こうやって普段はあまり感じる事のない、動物の存在を感じる事ができます。
鳥越林道にやってきました。石碑だけがありました。
坂内村登山口に向かう途中に金糞岳が良く見えている所がありました。
確かに距離が近いのは地理院地図で見ても分かりますが、ここからでもすごく近く見えます。
坂内村登山口に到着!割と近かった。
ここから尾根道に出るまではちょっとした急坂が続きます。10分くらいです。
これはウサギっぽい?
あっという間に尾根にたどり着く。金糞岳が目の前に見えています。
解放感がありますが、暖冬の影響で霧氷は全くですね~!
動物たちの追体験をするように同じ道を辿っていく。尾根道なので獣道にもなっているんでしょうね。
穏やかな登りが続くのですが、雪にズボズボとはまってなかなか前に進めない。本来であれば1時間ちょっとで着くのでしょうが、一時間で半分しか来れませんでした。
キツネかタヌキの足跡を見ながら休憩。
ふと東側に目をやると、白山や北アルプス、中央アルプス、御岳などが綺麗に見えていました。
白山!京都から白山って遠い印象ですが、金糞まで来るとこんなに大きく見えるんですね!
奥の大きな白い山の左が北アの乗鞍岳、右側の単独峰が御嶽山。
さて、あと一登りで山頂だ!
標高も上がってきてだんだんと展望が良くなってきます。
これは大きい!ウサギが休憩してたのかな?
霧氷を期待していたら樹氷が見れました!
太陽に照らされ、軽く溶けていてキラキラと輝いて見えます。
そしてお疲れ様です、金糞岳山頂!1,317m。あっという間やったな~。
また関西百名山の一つを踏んだ!次はどこの山かな~
金糞岳の記念碑。
金糞岳から白山方面
金糞岳からは白倉山へ行こうという予定でしたが、雪が中途半端に溶けて固まっているので、わかんも使用できず、アイゼンも役に立たないので大変だと判断し、途中まで下って琵琶湖の景色だけを見る事に。
少し遠いですが、琵琶湖が綺麗に見えていました。しかし、天気が良くてよかった!
あとは下るのみ。下りは高速道路でした。もちろんズボズボとはまりましたが笑
山頂でお会いしたグループのスキー板がありました。ここから岐阜県側へ林道をスキーで滑って下るのだとか。羨ましい!
ふたたび林道を戻って鳥越峠へ。ありがとう金糞岳…、またどこかで!え?(この山は今後もここにしかない!)
涼さんの車に到着!お疲れ様でした!!!早めに下山した理由はもう一つ…長浜のラーメン屋に行きたかったのだ~!
長浜の「ジョニー」で美味しいつけ麺を頂きました!
感想・まとめ
滋賀の山を調べていても、金糞という珍しい名前がなんとも目につきますね。滋賀県第二峰という事もあり、それ依頼興味を持っていたのですが、日本の製鉄の歴史の秘密が詰まった興味深い山でした!
林道がどこまで進めるかがすごく不安でしたが、暖冬の影響からか鳥越峠の2~300m手前までほとんど雪が無く、ビックリしました。距離は近いものの、雪質が悪く時間がかかりました。
ちなみに金糞岳には面白い伝説があります。近江国風土記に書かれている文章に「伊吹山とその妹の浅井の丘(金糞岳)がある日、背比べをした所、浅井の丘が一夜にして背が伸びて伊吹山が負けてしまったので、浅井の丘の頭を切ってしまった。その頭が落ちた所が今の竹生島だ。」という話があり、浅井の丘が今の金糞岳と言われています。また、浅井の丘の神様(浅井比咩命)は切られて飛んでいった竹生島に祭られています。
伝説というものは日本各地にあり、それらの内容が似通っている事も多いです。羽衣伝説は余呉湖を舞台としたものが「近江国風土記」に、京丹後市の峰山町を舞台としたものが「丹後国風土記」にあり、他にも日本各地に存在します。これらの元は白鳥処女説話といい、女性の処女性を白鳥で象徴する話で、朝鮮や中国をはじめ、世界中にその思想は分布しています。
古来より処女には特別な神聖な力が宿っていると考えられており、世界中の伝説で語られてきました。古代ギリシャやローマでは処女は純粋さや自制心を意味する美徳と考えられ、ギリシャ神話やローマ神話などで処女を誓うといった内容のものもあります。
ユダヤ教のタナハでは、女性の処女を保護する為の規則や、婚前交渉や強姦などに対する規則などが含まれ、当然、ユダヤ教が基礎となって生まれたキリスト教やイスラム教でもその内容は踏襲されています。特にイスラムでは厳しいですね。キリスト教では大天使ガブリエルがマリアに処女懐胎を伝えましたが、仏教では摩耶夫人が白い象が胎内に入る夢を見て釈迦を懐妊し、右わき腹から釈迦が生まれたとされます。仏教の戒律には「婬戒」という「性的な男女関係をもってはならない」という決まりがあり、仏教も仏教の基礎となったバラモン教にも処女が重要視されています。
さらに起源をたどると、紀元前15世紀頃のリグ・ヴェーダ叙事詩という古代インド(インド神話)の聖典に「アプラサスにまつわる悲恋物語」が記されており、これが羽衣伝説の原型として日本に朝鮮半島から伝わってきています。同じように朝鮮は中国から、中国はインドから伝わっているのです。
リグ・ヴェーダは紀元前15世紀頃にインドに伝わったとされ、ギリシャ神話やローマ神話と共通するものも多く、こういった伝説は大きく分類しアーリア人を起源としています。
そして、この記事最初に書いたように、鉄器文化の発祥であるヒッタイト(アーリア人の一つ)は紀元前17世紀頃に鉄を造っています。製鉄の歴史もヒッタイト人、こういった伝説の歴史も元を辿ればヒッタイト人まで遡るとしたら同じ経路をたどって日本まで伝来したのでしょう。そしてさらに遡ればアフリカのホモサピエンスの起源まで行きつくのかもしれません。
この文の時代考証がバラバラでも、古代アフリカ・アーリア一体のどこがが造った文化が、長い年月と人と人の繋がりによっていつの日か日本まで到着した事は間違いありません。金糞岳という滋賀県にあるマイナーな山の奇妙で変わった名前から、古来より脈々と受け継がれる人間の英知を感じる事が出来るのではないでしょうか。