遺骸が動かない…「繁昌の宮・班女塚」に葬られた娘の話
レジャー概要
「繁昌の宮/班女塚」の由来・怖い話
室町高辻を西に入った所に小さな社がある。繁昌社と言われ、商売繁盛や子孫繁栄などの後利益があるという有りがたい神社なのだが、ミステリーチックな由来がある神社でもある。
この神社(塚)の由来は宇治拾遺物語という1213~1221年にかけて成立した説話物語集の第三巻「長門前司女、葬送の時、本所にかえる事」に記されている。
高辻室町付近の前長門国守に2人の娘がおり、姉は早くに嫁に嫁ぎ高辻室町に住んでいたが、妹は宮仕えを辞めてからは家に戻り、定まった夫もいなくときどき通ってくる男と寝殿の南面の西にあたる妻戸の口で語らいをしていたそうな。ところがこの娘、27、8歳のときに重い病にかかり亡くなってしまった。
娘の遺体を棺に入れ、車に積んで鳥辺野の墓地に運んだ。一行が鳥辺野につき車から棺を下ろそうとすると、やけに軽く、棺が少し開いていたので覗いてみると娘の姿がなかった。家に帰ってみると遺体は妻戸口に、もとのような格好で寝ている。不審に思ったが仕方がないので次の日に車に乗せて鳥辺野に運び下ろす頃にはまた蓋が開いていて中に娘の姿はなかった。2度も奇妙な事が起きたので人々が気味悪がった。そして、また鳥辺野に運ぼうとしても今度は土に根を生やしたように全く動かない。ある老人が「ここに埋めてほしいのではないか」というので、墓穴を掘ってみると娘の遺体は軽々と動いた。そうして事は落ち着いたが、姉が引っ越したのを始まりに、村人は気味悪がって一人、二人と引っ越していき、この辺りは誰も住まなくなり塚だけが残った。
という話。班女が繁昌と読みが同じなので後に繁昌の宮と呼ばれるようになった。
繁昌の宮/班女塚を見に行ってきた
かなり目立ちやすい場所にありますが、不気味な由来があります。
繁昌社の由来
中の様子
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