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2017.09.16

曹渓宗高麗寺 – 京都・童仙房の山奥に突如現れる色鮮やかな寺

レジャー概要

曹渓宗高麗寺
京都府南山城村
見学無料



MAP:京都府南山城村童仙房小字簀子橋13

曹渓宗高麗寺 – 京都・童仙房の山奥に突如現れる色鮮やかな寺

 京都の秘境「童仙房」のさらに山奥に高麗寺と呼ばれる韓国系の仏教の寺があります。

 国道163号線から離合も難しい林道をひたすら走ること1時間…山の山奥に位置する秘境の寺です。

 お寺は1974年に在日韓国人などの心のよりどころとして開かれ、日韓友好と世界平和の為に宗教活動を続けています。日本中から在日韓国人などが参拝に訪れるそうです。

 お寺は6万坪とかなり広く、韓国様式建築の建物が日本では物珍しく、異国の雰囲気漂うテーマパークのような、ミステリースポットのように感じました。

 敷地に入ってみると真っ先に高麗ハイツと呼ばれる大きな建物が姿を現します。

 韓国語でもおそらく高麗ハイツ?と書かれていますが、読めはしません。

 一階は参拝者休憩所にもなっているようですが、薄暗くてとても入れるような雰囲気ではありませんね…笑

 ごくらく橋と韓国系の観音像でしょうか。白衣観音像というらしい。

 橋には韓国語でも書かれています。韓国語がかかれているだけで異国のオーラがすごい。

 こちらが本殿「大雄殿」というらしい!なんやこの色鮮やかな建物は!こういう色合いは丹青(タンチョン、五方色)と呼ばれる韓国の伝統的な彩色で、韓国王朝の王家の施設と寺院だけに認められたものだけに描くのが許される由緒正しい韓国カラーだそうです。

 それにしてもカラフルすぎて目が痛くなりそう。

 近くでみるとカラフルで美しい…。韓国のイメージはキムチしかありませんでしたが、こんなに素晴らしい色合いのお寺があるとは!

 この丹青というのは、

 東・春・肝臓・木=青
 南・夏・心臓・火=赤
 西・秋・肺・金=白
 北・冬・黒・腎臓・水=黒
 中間・無季節・土・胃=黄色

 というのをイメージした色で、さらにそれらの中間色である「緑・オレンジ・水色・茶色・紫」の合計10色が丹青の基本なのだそうです。

 これらの色を組み合わせ装飾することで、宇宙的なエネルギーを取り込もうとしているそうな。

 韓国の伝統工芸品や、服などでもこの五方色は使われているそうです。

 日本の寺でよく見る組木より複雑で丸みもあり、丹青をより美しく魅せているような気がします。

 なぜか頭から煙をふかしたお釈迦様?

 鍵があいていたので、扉から内部を撮影。

 つい最近(2017年8月)、人事が新しく生まれ変わったという記事が貼られていました。

 記事を見ると、高麗時には様々なトラブルがあったそうですね。

 過去には住職などによる放漫経営やマイポケ行為があり、お寺が破産状態になった事もあったそうです。多くの信者の援助があり、破産を乗り切ったそうです。

 現在の経営にはそういったことは一切ありませんといった内容がかかれていました。

 韓国の風神雷神?なんだろう笑

 こちらは本堂の横にある鐘楼堂。

 中の大きな鐘は日韓友好の鐘というそうです。

 こちらも五方色で描かれた色鮮やかなデザイン。

 本堂から離れ、高台に登ってきました。

 この高台にあるのが山神閣という祈祷所の建物。

 なんでも一つ願を叶えてくれると参拝客が絶えないそうです。

 こちらの建物には韓国の景勝地?かなにかの絵が描かれています。

 日本で言う葛飾北斎?

 帰りしなに、森の奥にも何か建物があるのを見つけました。

 龍王堂というらしい。説明書きがないうえ、異国の建物なのでどういう建物かさっぱり。

 水がない竜神。

 ぽつりと離れた所に並んだ韓国の石仏?

 よく見たら日本の仏像とは表情がほんのすこし違う…ような?気がする?

 高麗寺には広大な墓地があり、月々15000円~で購入できるそうです。

 現在はほとんど活動していないと聞きましたが、2017年の活動表があり、年間通じて現在も色々活動しているようですね。

 日光友好平和塔。高さ18mの塔です。大きいのですが、回りが山に囲まれているので遠くからは見えませんね。

 横の小さな塔は13段で造られ、韓国13の道を象徴しているそうです。

 平和塔の下には韓国系の方々のお墓が並んでいます。墓は日本と全然変わりませんね!

 今は何かと日韓問題が激しいですが、昔のことは忘れて、今行きてるもん同士、国籍関係なく仲良くしていきたいものですね。

感想・まとめ

 京都の童仙房という秘境のさらに奥地にある韓国宗派のお寺があります。五方色で描かれた建物を見るためにいってきました。

 韓国伝統の色彩ということで、とてもカラフルで見ごたえのあり写真の撮りごたえがありました。

 なぜこんな所にお寺が?と思ってしまいますが、童仙房は明治4年に京都府が開拓した土地で、朝鮮系の集落という訳ではありません。ただ、後に10名の朝鮮人が勉強の為、この地で暮らしていたという記録は残っています。

 また、木津川市に飛鳥時代から平安時代まで存在していたと言われる高麗寺(こまでら)跡というのが残っており高句麗から渡来してきた狛氏による創建といわれています。このあたり一帯がはるか昔から朝鮮との交流が盛んな土地だったのかもしれません。

 以前話題となった「軍艦島で120名が死亡した」として使われているイメージ画像は、このお寺が1990年に出版した「強制徴用“朝鮮人はこのように連れて行かれた」に掲載されていた写真だそうです。これは知らずに使われた写真なのか…もしくははたまた…。

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山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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