木嶋神社(蚕ノ社)の三柱鳥居と秦氏の謎
レジャー概要
木嶋神社にある世にも珍しい三柱鳥居
こんにちは!tamuraです!
京都市右京区にある木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)という神社には、世にも珍しい鳥居の柱が三本あるという三柱鳥居というものがあります。
ここに面白い伝説が残ると聞いて、やってきました。
このお寺についての説明書き。
このお寺は渡来人で養蚕を日本に伝え財をなしたと言われる秦氏ゆかりの神社で、蚕ノ社という別名もあります。
鳥居は本殿の西側にある「元糺の池」という池の中に建っています。
糺とは、「正しく直す」「誤りを正す」という意味で、心を清める禊の場だったそうです。
これが三柱鳥居と呼ばれるミステリーたっぷりの鳥居です。
3本の柱と各方角に貫や額束などがあり、真上から見ると正三角形になっております。
鳥居というと、その先にある本殿などの入り口に門としてあるものですが、この鳥居は中央部のケルンみたいに石が積まれている所があります。閉ざされた空間、宇宙の中心を表しているのだそうです。
江戸時代には葛飾北斎の絵にも描かれており、古くから珍妙な鳥居として知られていたと思われます。
感想・まとめ
木嶋神社は京都最古の神社といわれている古いお寺にある三柱鳥居を見に行ってきました。
日本に何箇所か存在する三柱鳥居ですが、木嶋神社のものが唯一日本古来から残る三柱鳥居であると言われています。
なぜ3本の柱があるのかは諸説あるのですが、京都の太秦あたりは謎の渡来人の秦氏が本拠地としていた土地で、この木嶋神社も三柱鳥居も秦氏のゆかりの神社といわれています。
謎の渡来人秦氏は百済からの帰化人、秦の始皇帝の子孫、はたまたイスラエルからやってきた渡来人など様々な説がありますが、この秦氏が自国から持ち込んできた原始キリスト教(ネストリウス派・景教)、「三位一体論」を鳥居に表現したモノじゃないかという説もあります。
たしかにキリスト教の三位一体の盾の概念図というものと、この三柱鳥居を真上から見た構図は似ており、柱を父なる神、子なる神、聖霊なる神に表し、中央の石垣はそれらは一体であるという事を表しているといわれたら不自然ではないかもしれません。また、神さまを数字で数える際には一柱、ニ柱、三柱…と数えるそうです。
秦氏はユダヤ人キリスト教徒という説も唱えられていますが、ザビエルが日本にキリスト教を布教したのは1549年の事ですので、鳥居が秦氏のキリスト教ネストリウス派よるものならさらにはるか昔から日本にキリスト教の手がかかっていたという事になりますね。
日ユ同祖論で有名な佐伯好郎氏の研究は半ば都市伝説かのように語られることも多いが、調べてみると全てが全て的外れという訳ではないと思います。秦氏がユダヤ教徒だったのか、ユダヤ教にも属するキリスト教徒だったのか、長安の大秦寺と関係があるのか…。
歴史というのは科学と同じで、正しいと証明できなければ全て都市伝説かのように否定されるし、その割には新しい事実が発見されれば歴史はコロコロと変わっていきます。でも新たに発見した事実や書物だって、時の権力者によって、また都合の良いように書き換えられているはずです。
逆に言えば、この神社のようにどうにもこうにも日本の古来伝統から説明のつかない史跡も残されている訳です。
日ユ同祖論というと日本人の祖先がユダヤ教徒なのではないかというイメージを持たれますが、シルクロードを通って西洋から長安までユダヤ人やヨーロッパ人、アーリア人、ペルシア人などの行き来はありましたし、秦氏のように事実どこからか日本にまで到達している渡来人もいる訳です。日本だけでなく、中国だって韓国だって、その他全ての国だって、ルートがあれば様々な人種同士で交配してきました。日本人だけが特別な人種で崇高で崇め奉ろうという論ではありませんので注意が必要です。
大昔、長安のように様々な国の人々・宗教が絡み合う都市もあったのですから、世界どこでも古来より様々な人種同士で遺伝子を残しあってきた訳です。その中で古来日本にユダヤ人、西洋人、中国人なのかよくわかっていない秦士族や、その他の渡来人がやってきていたというだけで、今の日本人の顔を見れば一目瞭然ですが、当然イスラエル系の顔ではありません。大多数のモンゴロイド民族の日本の中に少しの渡来人がやってきただけの話です。
またキリスト教やユダヤ教というと、西洋の華やかで煌びやかなイメージがあるかもしれません。現に日ユ同祖論が広がりを見せたのは、日本人のすばらしさを違う視点で認識したいという欲望も多かったと思います。キリスト教が本格的に華やかになるのは13~15世紀のゴシック期以降で、日本人が思わず憧れを抱いてしまうイメージとしての煌びやかなキリスト文化とぜひ日本を結び付けたいと思う気持ちは分かりますが、その必要はありません。例えこの三柱鳥居がキリスト教由来のものだとしても、それは皆さんがイメージするよりもっと原始的なキリスト教でした。
はたして景教なのか、その他キリスト教宗派なのか、ユダヤ教なのか、違う宗教なのか、分かりませんが、それだけ渡来人が日本にやってきたとなれば、どこかで宗教の混合(世界のどの宗教も常に移動すればその土地とちの風習や環境を取り込んだものになっていった)などがあっても不思議ではなく、600年から始まった遣隋使が、遣唐使となり894年に藤原道真によって廃止されるまで、様々な文化交流があったので、この木島神社が立てられる701年以前から秦氏が異教を日本に持ち込んで日本の歴史を造り変えた可能性は大いにあると思います。
日本は他国からの宗教に依存しています。仏教だって日本由来の宗教ではありませんし、キリストもまたしかり。どの宗教がどのように入ってきたかなんて立証しようがありませんが、間違いなく言えるのは様々な国の文化と日本という島国の環境からくる思想が混ざり合ってできたのが今日の日本文化です。そして、だからこそ我々の常識に当てはまらないこの木島神社の不思議な鳥居がより魅力的に感じるのです。
少なくともロマンのある歴史である事は間違いはありませんね。
そもそも、この時代の秦氏の影響より、文明開化や第二次世界大戦後のアメリカや西洋からの影響のほうがはるかに大きいですよね。明治政府の脱亜入欧の政策のほうがはるかに日本は西洋化したと言えます。今や人々が住む家はモダニズム建築だし、クリスマスやバレンタイン、なんでしたっけ、カボチャのやつ。トリックオアトリート。そういう西洋由来のイベントを平気でやってのける現代人は、十分に西洋人なのではないでしょうか。今の日本はモンゴロイド西洋派ですよね。
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