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2017.07.08

東ノ川小中学校 – 湖畔の崩壊学校と廃集落

東ノ川小中学校

廃墟の情報

東ノ川小中学校
廃墟小中学校
場所 奈良県
開校 1964
廃墟化 1969


廢墟レポート vol.68:東ノ川小中学校 Higashinokawa School

 今回の廃墟は東の川小中学校。奈良県の山奥に存在する廃村にある廃校です。

 写真は坂本ダムにかかる吊橋。

 通行禁止となっており高所恐怖症の僕はガクガクです。

 東の川とは、かつて坂本ダムの底にあった川の名称で、その川沿いにあった「白川、河合、小橡、西原」という4つ集落の総称を東の川地区と呼んでいました。

 1959年にダムが着工され、その後水没する為1964年に現在の位置に集落と小学校が建て替えられました。

 こんな山奥の僻地になぜ鉄筋コンクリートの立派な学校があるのだろうと不思議になりますが、ダム建設による補償として建てられた為です。

 その後、東の川集落の主流産業であった林業が衰退した為廃村となり、東の川小中学校も1969年に廃校となりました。

 尾鷲から約1時間の山道を走る僻地に存在しており、途中からは落石も多く、携帯も圏外でした。

 現在は池原貯水池にかかる橋が通行止めになっており、三重からしか行くことはできません。

 移転からわずか5年で閉校となっており、ここで学んだ生徒は5名のみだそうです。

 入ってみると、ガラスはいたずらで割られ、床は泥でかつて土砂災害にあったようです。

 落書きも多い。校舎は狭いがとても立派だった事がわかります。

 建物はコンクリートですが、教室を仕切るのは木製のものですね。

 窓から日が差し込んできていい感じ。

 教室内は泥がたまりぬかるみとなっており、イノシシなどの足跡がありました。

 教室2…

 らくがきだらけの踊り場。4つの四角い窓がオシャレです。

 廃校はやっぱ踊り場が良い!

 音楽室。かつてはカーテンがありましたが、今は無残にも剥がされています。

 残留物はほとんどありません。オルガンが残っていましたが、鍵盤が無くただの木の箱のようなものになっていました。

 出してくれ~!ちなみに同行者の権蔵さんは趣味でベアブリックを収集しており、廃墟でベアブリックを撮影しています。

 収集しているのは100%の通常サイズですが、1000%のサイズで撮影出来たらな…と悩んだ末、このお面をどこかで見つけてきて、結局自分がゴンブリックになったらいいやんという事になったのだとか笑 2つあったので僕も参加してみました笑

 僕(左)はお面の上からメガネと帽子をかぶってかなり仕上がった感じで撮影したのですが、写真ではよくわかりませんね…。

 床の木は湿気でバラバラになり、ところどころに草が生えています。

 さぁ、小学校の横の坂道を登っていくと東の川廃村があります。

 現在はもう人は住んでおらず、玄関や窓には板が打ち付けられています。

 多くは尾鷲市へ移住されたそうですが、一番近い町である尾鷲でも距離は26km。ほぼ山道なので26kmでも車で一時間かかります。

 立派な公民館。中は綺麗でしたが、ほこりがたまっていて、なんとも言えない臭いが充満していました。

 この高台にあるのは8件。

 どこからともなく人の気配を感じるがどこを探しても人は見当たらず…。

 赤い建物は元東の川郵便局。郵便局マニアというのがあるらしく、その間では有名だったそうです。

 有線電話がないため郵便貯金オンライン網が整備されていなかったそうで、昔ながらの手作業で行われていたそうです。ここで入金を手作業で行う為に訪れるのでしょうか。そう聞くとちょっとロマンがあって僕もしてみたかったな。

 人がいるということは信仰があるという事で村の拠り所神社も寂しい感じに。

 人がいなくなり自然に埋もれ神々しい雰囲気ですね。

 人々がいなくなった今も帰りをまちこの村を守り続けています。

感想・まとめ

 東の川小中学校は大台山地の山間にある日本屈指の僻地にある廃校です。ダム建設の為に移転となり、補償で立派に建て替えられましたが5年で廃校となり、ここで学んだ生徒の数も5名のみ。短命の学校でした。

山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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