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2016.03.27

峰之沢鉱山宿舎 – 草木と共に枯れゆくコンクリートアパート跡

峰之沢鉱山の鉱山宿舎

廃墟の情報

峰之沢鉱山
鉱山宿舎跡
場所 静岡県
建設 不明
廃墟化 1969


廢墟レポート vol.40:峰之沢鉱山アパート Minenosawa mine apartment

浜松市天竜区の山奥にある有名な鉱山跡のアパートにやってきました。

峰之沢鉱山鉱員社宅(峰之沢鉱山アパート)。以前はこれほど草木が生えておらず外観がしっかり見えていたそうですが、現在は…もう自然の力に飲み込まれる寸前といった外観です。

峰之沢鉱山は明治40年から本格的な採掘が始まった銅山で、第一次大戦後の不況と鉱山火災により一時休山したものの戦後昭和31年には従業員700人を抱える最盛期を迎えました。

その後すぐの昭和44年に産出量の低下や、貿易自由化によって価値が下がり閉山となりました。にぎわっていた町は一変して人が消え去り、残された学校や商業施設などは取り壊され、この二つのアパートだけが取り残されました。

藪漕ぎを経てやっとこさ上がっていくと、廃墟アパートはさらにもう一段上でした。ここには茶畑があり、なんとも静岡らしい風景が広がっています。

パッと見、廃墟ってこれだけ?という感じもしますが、入ってみると結構規模が大きく、さらに良い年代モノでしてね。草木のせいで建物自体が小さく見えてるのもありますし、むしろこれだけでもかなり見応えのある、ちょうど僕好みドンピシャな物件でした。

う~む。この藪…どないして登ったらええねやろ。

藪の間にある狭い狭い隙間を縫うように、草をかき分け虫を潰してしまったりしてようやく登ってきました。私も同行者も手をケガしつつもようやく到着。同行者にいたってはズボンまでビリビリに破けてしまいました。しかし僕らは行きます。

上まで上がればこっちのもんと思ってたら、土砂崩れでもあったのか足場はこんな感じ。木片の上を歩かなければいけない上、若干腐ってて脆い。大変危険です。

大きさに圧倒されます。どこから入ろう。

割れた窓から侵入。段差があってかなり入りにくかったです。

入ると一気に昭和の時代に戻った感じ。

部屋は結構広い。障子とか新聞やカレンダーなどといったちょっとした残留物が残っています。玄関から出ようとしたらさび付いてて動かない!仕方なくまた窓から出る事に。

やっとこさ階段までやってくる。

ここもさび付いてて扉がうごかないので郵便受けから除く。

入れる所も発見。

外観のわりには荒らされてないのか窓ガラスがちゃんと残っています。

窓からは2号館や茶畑、向いの山々が綺麗に見えています。鉱山最盛期にはこの麓(天竜川)のほうまでスーパーや商業施設、診療所から映画館、幼稚園、学校などがありにぎわっていたといいます。

向いのアパートも行ってみたいが、この草木やと断念するしかないなぁ。これ以上ケガしたくない。

素敵なベランダに通じるドア。

台所。小さな小窓からごはんを渡すんでしょうか。料理しているおかあさんと、ちゃぶ台に座るお父さん、小窓から料理を運んでちゃぶ台に並べるお手伝いしてる子供の光景が浮かびます。

放置されたお茶碗たち

屋上へと向かう。

「おおっ!?」思わず声をあげた。頭上には蜂の巣が!怖いよぉ~

屋上まで来ました。今はこのアパートしか残ってませんが、当時の風景を見てみたいものです。

感想・まとめ

有名物件でしたが、もう行けるような雰囲気でもなく知る人も少なくなっていく物件かもしれません。アパートに行くまでもケガするほど薮漕ぎでさらにアパートついてからも土砂崩れか分かりませんがほぼ足場はなく、移動が大変でした。しかしコンクリートアパートの廃墟として風化具合などもよく入ってみると魅力的な物件でした。

アパートだけではなく、周囲を探すと施設跡や坑口が少し残っているみたいです。10000人規模の町やったとはいえ、閉山して数十年、ここまで何もなくなるのかというのがビックリでした。当時の風景はもう見る影もなくほんまにこのアパートだけで、周囲は草木と小さな一軒家が数件のみ…。人が住み続けるってすごい事なんやと痛感させられました。

山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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