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2018.07.18

水窪小学校門谷分校 – ひぐらしの鳴く山奥にひっそり佇む崩壊学校

廃墟の情報

水窪小学校門谷分校
廃校
場所 浜松市天竜区
開校 1879年
廃校 1970年


廢墟レポート vol.96:水窪小学校門谷分校 Misakubo Kadotani School

こんにちはtamuraです。

今回はずっと来たかった静岡の廃校にやってきました。なんしか遠い…浜松からまだ80km以上離れており、京都から浜松までの高速より、降りてからの方が長かった…。

水窪小学校は9つの分校があり、現在残っているのはこの門谷分校です。アクセスが困難な事からさすがに人為的な荒らされ方は無く、自然に溶け込むようにして崩壊している感じでした。

この時すでに18時を回っており、日没も近く、ひぐらしの鳴き声と風にそよぐ木々のささやきが、この廃校をより神秘的に感じさせてくれました。

校舎は山の奥深くの尾根にあり、古い古い木造校舎なのです。小さいのですが、廃校といえばこうでなくちゃ…という崩壊具合がなんともいえない素晴らしい物件でした。

明治28年に「奥山尋常小学校門谷分教室」として開校し、その後何度か改称し「水窪小学校門谷分校」となりました。

入ると6つの机が並べられた教室があります。建物自体がいがみ倒しています。

木造校舎は独特な香りが漂っているものですが、この廃校はそんな香りよりもう一つ濃い濃い侵食されている香りがしました。

とても古い校舎ですが、開校当時のものではなく、昭和34年の伊勢湾台風で全半壊し、建て替えたものだそうです。

じっと崩壊の時を待つ教室。実際は写真より暗く、コウモリが飛んでいました。

この地は林業が盛んだったそうで、最盛期はこの小さな分校に50人の児童が通っていたそうです。

その後、外国から安価で材木が輸入されるようになり、林業の衰退と共にこの集落の人々も一人また一人と山を降りていきました。

窓の外にも見えていますが、杉の木が植林されているので今でも林業はほそぼそと営まれているようです。

ここを卒業した生徒は、中学校まで水窪まで降りなければならず2~3時間かけて通学していたそうです。

そんなここを最後の卒業生ももう50歳になるのだとか。校舎は廃校後半世紀近く時が止まったままこの場に佇んでいるんですね。

この小さなカスタネットも、黒板消しも全て半世紀前のものなんだ。

教科書って意外と丈夫で、今でも読めるくらい綺麗に残っていたのがビックリしました。

もう一つの教室は先生の教壇と机と椅子が一つずつ。きっと撮影用に誰かが配置したんだろうけど、きっと最後の生徒が使ってたんだろうなって想像してしまいますよね。

マンモス学校も大変だろうけど、一対一のサシ授業もなかなか大変だね。手を挙げれば指名率は100%、わからなかったからと言って誤魔化しきかへんもんね笑

夕方の薄明るい光が机と椅子の寂しげな影を落とします。

黒板の落書きは、訪れた人のものや、卒業生が同窓会で訪れた時のものと思われるものもあります。

大きな木造校舎も、建築にこだわった木造校舎もいいけれど、小さくても山奥に忘れ去られたように佇む廃校はとても魅力を感じます。

廃校のトイレ。便器はボットン式で陶器ではなく、全て木製でした。

分校の前には運動場のような小さな広場に遊具が一つ2つ存在しました。学校の校庭というにはとても狭く、こんな所で何ができるのだろうと思っていましたが、よくよく考えると、ここの生徒にとったら、きっとこの山全部が遊び場で校庭だったんだよね。

錆びて朽ちてゆく遊具、苔むした倒木が物悲しい雰囲気を漂わせています。この寂寥感に満ちた憂鬱な光景が私にとっては非日常的な光景でロマンです。

帰りの道でもひぐらしが鳴き私たちを見送ってくれました。太陽がもうすぐ西の空に沈もうとしています。

フランスの美術評論家ドゥニ・ディドロは「一七六七年のサロン」にてこう書いています。

「廃墟は朝方より黄昏時のほうがいっそう美しい。朝は世界の舞台が騒々しくなろうとする時であるのに、夜は、それが静謐(せいひつ)になろうとする時だからである」 谷川渥 廃墟の美学(2003)「Ⅵ 廃墟のトポス」より

感想・まとめ

門谷分校は静岡の山の奥の奥に残る小さな小さな分校。規模は小さめですが、建物の崩壊具合が素晴らしく廃校はこうでなくちゃ…!というほど満足度の高い所でした。

ただアクセスが非常に大変で、どこから行っても遠く、到着した時点ですでにフラフラでした。集落の横の階段を登っていき、建屋があるのでさらにその奥を登っていった尾根に廃校はあるので、場所も少しわかりにくいのですが、それ故あらされる事なく人知れず自然崩壊しているようでした。

明治12年の開校から91年で291名の卒業生を送り出した門谷分校、卒業生たちはこの学校を出てどのような人生を送ったのでしょう。

山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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