古都コトイメージSmart

2014.11.22

大見・尾越集落 – 京都北山に囲まれる秘境の村

大見・尾越集落

廃墟の情報

大見・尾越集落
高度過疎集落
場所 京都府
人口 定住0名
廃校が現存


廢墟レポート vol.11:大見・尾越集落 Omi&Ogoshi village

今回やってきたのは先週の土日に引き続き北山。

百井の集落のさらに奥にある秘境の地、高度過疎集落(超限界集落)と呼ばれる大見集落・尾越集落に向かいます。

夏の間だけ住人はいるものの年通じて住むものはおらず半廃村状態。

唯一の学校である尾見分校は1972年(43年前)に休校状態となっており、その年からこの集落は冬季無人集落となったそうです。

大原から向かうと百井まで急なヘアピンや坂が続く。
このあたりはまだバイクなどが走ってて道よけてあげたりしていた。
坂を上りきると、先週のぼったナッチョの登山口までやってきた。坂はきついが長さがないのですぐでした。
左は鞍馬・花脊方面で右へ進めば大見尾越へ向かう。
一部綺麗に舗装されていたが…これほど綺麗にする必要があるのか!?
ほどなくしてヒノコ(大見方面と修道院村・R367平バス停の分岐)に到着する。修学院村は帰りに寄るのでとりあえず大見方面へ。
このあたりから沢にかかる橋の重量制限がかかる。3tなので大き目のトラックは無理だ。
それを過ぎると急に道幅が広がる。絶対いらんやろ…。三連休の初日やというのに車はおろかバイクすら走ってないぞ。
杉の道を超えると…
土葬が伝統で有名な大見の墓地にたどり着く。
墓地の裏は尾見廃校になっている。
体育館?は空いているがボロボロ…
さすが40年も休校となると風化も相当ひどい…。これを廃墟と呼ばずになんと呼ぼう…
中は床が腐っており入るのはやめました。前の段も真ん中から折れかかっている。
天井もはがれ荒れ放題。
ガラスも割れていました。
こちらは校舎側。一部穴相手いましたが人が入れるほどではなく、きっちり締め切られていました。
こちらの建物も締め切られていました。
焼却炉?
屋根の取れた百葉箱
有名なジャングルジムと木。
ジャングルジムの中から生えてきております。
遅くなりましたが大見集落の風景。この日は農業の方が一人いらっしゃいました。他は古民家の改修作業をやってるみたいで若者が多くみられました。

大見集落の北までくると分岐がある。

「左・京都方面、右・若狭小浜方面」

と書かれており、こんな所の分岐の選択肢が京都と小浜と言われてもと困った人はいるでしょう。

理由は右に行くと大見尾根と呼ばれる尾根の道や和佐谷峠を超えると花脊峠に出ます。そこから鞍馬へ降りていけば京都市内につくので京都と書かれています。

もっとも大見尾根は車の通れるようなところではない恐ろしい道路です。

左は尾越集落を超え峰床山の山中を走る林道から花脊・美山へと向かう道につながるため、小浜と書かれています。

最奥の集落、尾越へ向かいます。
峠?みたいな所を越えヘアピンを下ると廃車が現れました。尾越周辺は別名「車の墓場」とも呼ばれておりあちらこちらに廃車が起き捨てられています。
さきほどの廃車を越えれば尾越集落に到着。一人老人の方が農作業をしていらっしゃいました。珍しそうな目で見られました。
その老人とは…なんとこの有名な公衆電話の家の方でした。なんと…。
尾越の奥へ進む。再び廃棄車両を目撃。ラピュタに出てきそうやな…
これは比較的新しい?
捨てられてるところもなんか桃源郷みたいなところ。
神社を探しに奥へ進んでみる。
台風の影響なのか大きな池がなく、大きく沢がえぐられており何がなんだか分からない状態に。
なんやろうこの風景。すごく考えさせられますね。ぽかぽか陽気ですすきの揺れる音しかしない。時間がゆっくり流れ、村人は一人と廃墟となった民家が残るのみの村…。
ログハウスの廃墟。左手はまだだれかが夏季にでも来てるような形跡はありました。
ベンチにもたれかかってのんびり過ごす…。なんやろうこの村…。不思議すぎる。あの世みたいな風景が広がっている。なんやろう、極楽じゃないけど、人並みに生きた人が死んだとき行く世界みたいな?w
尾越集落の神社を探すがなかなか見つからない…。
地理院地図にあった鳥居マーク付近に行くと地蔵様を見つけたのでその周辺を探す。
山へ入っていきよくわからない石碑は見つかるが何もない…
やはりこのちょっと違和感のある段差の部分に神社があったのだろうか。地図ではこの場所に鳥居が…。
人工物というとこういうものがあるのみで跡形もなく無くなっていました。ちなみに大見の思子淵神社も台風の影響で倒壊し大見新村のプロジェクトにより完全に解体されたそうです。
尾越セミナーセンターの廃墟。
尾越の民家。窓などにはしっかり板が打ち付けられており中は見れも入れもできないようになっている。
人の気配があったのはやっぱりこの公衆電話の家のみ。
さて、帰ります。帰りの道改めてみると綺麗。
大見集落の分岐(京都・小浜)を京都方面へ向かってみると0.5tの橋があります。歩いて渡りその先へ向かってみる。
またススキの群れが。

僕の背より高いすすきの群れが延々と続いていて不気味で怖いw

この大見の村は今大見新村として再生を図ろうとしています。

この活動がなければ間違いなくこの村は消えてなくなる事でしょう。

将来またこのあたりにくるときまたこの村を見られるように大見新村を陰ながら応援したいと思います。

帰りは北山修道院村によってみる。公式サイトがあるわけでもなく、不気味にたたずんでいる。北山…さらに修道院というのでもちろんキリスト系なんやと思って家帰ってしらべるとどうやら仏教の寺院だそうです。
かなり立派ですし、だれか住んでる様子です。
宗教らしい内容の看板が掲げられています。
帰りは百井峠(730m)から百井別れに出て鞍馬から帰りました。対向車こなくてよかった~!
山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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