大瀬小学校跡 – 崩壊を待つ歪んだ教室
廃墟の情報
廢墟レポート vol.58:大瀬小学校跡 Ose school
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紀伊半島南部の深い山の中にある大瀬集落の小学校の廃校にやってきました。
一応入り口には広域避難場所となっていますが、とてもじゃないけど災害時に安心して過ごせる場所ではありませんでした。
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廃校に向かう廃道にはすでに崩壊した建物が。
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こちらが大瀬小学校。
小学校は1878年(明治11年)に開校し、現在の校舎は1936年(昭和11年)に移転したものになります。1970年(昭和45年)に閉校となり、その後は集会所として利用されていましたが、老朽化によって放置されました。
現在は大瀬の集落は林業など仕事で通う方はいるそうですが、常住者はおらず実質廃村状態だそうです。
廃校の石碑がたてられています。標高が高い為、周囲は霧がかかっていて神秘的な雰囲気でした。
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校舎自体がもうぼろぼろでいつ倒壊してもおかしくありません。
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中は誰にあらされた訳でもなく、ただただ自然にさらされて崩れてゆく…。
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給食室でしょうか。薪の釜が。
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今やこんなもの見る事ありませんね。
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教室などのある本校舎。
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木造校舎の木とチョークとカビの入り混じった独特な香りがします。
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手洗い場。
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廊下は柱がもう限界に近いのか、いまにも崩れそう。
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メインの教室。柱が折れ曲がり教室自体がいがんでいます。
シンメトリーであるはずの建物が、建物自体の崩壊によってそれを崩し構図を作っているという面白い光景ですね。
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何もコメントする事はありませんね…廃墟として、100点ですよ。
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この地域は雨も多いので、いずれ近いうちに倒壊してしまうんでしょうね。
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折れた部分を見てみると、もう柱自体が腐っている事がわかります。
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音楽室。
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オルガン。
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鍵盤。
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蓄音機となぜか薬瓶。
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当時の教科書でしょうか。
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教室からみる校庭?
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トイレ部分は特に崩壊が激しいですね。
感想・まとめ
和歌山の山奥にある大瀬集落の廃校跡。メインの教室のいがんでる様子は、廃墟として本当に高得点です。廃墟というのは建築物と瓦礫の間で自然と共生してるものですが、まさにこの校舎は崩壊寸前の廃墟特有の楽しさがあります。