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2016.02.21

武智丸 – 水の守り神となったコンクリートの廃船

武智丸

廃墟の情報

武智丸
廃船
場所 広島県
建築 1944
廃墟化 1950


廢墟レポート vol.35:武智丸 Takechimaru Concrete Ship

広島についた日は生憎の雨でした。ここは呉市街から東にすこし行った所にある三津口という所。この小さな港町を守る二艘の船があります。

これらの名は「武智丸1号、2号」といい、コンクリートでできた本物の船なんです。1944年に造船された70歳を超える船なので、現在は使われていませんが、戦時中は物資の輸送に利用されていました。ちなみに750馬力のエンジンが装備され自走可能でした。

ではなぜコンクリートなんかで船を作る事になったのかというと、太平洋戦争直前の昭和17年頃、アメリカなどから日本への鉄や銅の輸出がストップされた事により日本は深刻な鉄鋼不足となった為、京都舞鶴にある海軍工廠でコンクリートの作る船の研究が行われました。

適当に作ったあるのかと思いきや、コンクリートの研究・開発は本格的に行われており高度な技術の上でなりなっているんだそうです。

普通に考えてあれだけの大きさのコンクリートが海に浮く事自体とても不思議ですからね。

この三津口沖は地盤が弱く、普通の一般的な防波堤を建てるには非常に基礎工事が困難でした。そこでこのコンクリート船を置いたらいいんではないか?という町の案から、防波堤として利用される事になりました。

カキなどが売られている販売所の近くにあり、危険な為立ち入り禁止となっています。ちなみにこの場所に設置されたのは1950年の事ですでに60年以上が経過しています。
沈設当時は船の上部構造物が残っていたらしいのですが、朝鮮戦争の影響で鉄の価格が上がっており金属でできた部分のほとんどは持ち去られてしまったそうです。

柵の外から第一武智丸を眺める。船体はかなり大きくこのコンクリートの塊が海に浮かんでいたと思うと浮力ってすげーなと感心してしまいます。

おっちゃんが歩いてたので、中は行っても大丈夫なんですかね?と聞くと、いいよ!先まで行ってもいいよ!と言ってくれたので堂々と入っていきます。ラッキー!

満潮時は1号はほぼほぼ水没するんだそうです。

武智丸1号は早めに廃船になったそうでもう結構ボロボロ。船倉内部は海水?がたまっております。廃船というだけでロマン度高いのに、水没しているというのはさらにロマン度が3ぐらい高いです。

直接船の上へはいけず舗装された所のみしか歩けません。

1号を超えると2号が現れます。廃船となってもなお、1,2号合わせてた130M+αでこの港の防波堤として役割をはたしています。

2号も船倉内部が水没しており、エメラルドグリーンの綺麗な色をしています。

二号は船の状態が良いのか中へ入る事ができました。船の骨組みをこういう風に見るのは初めてかもしれません。かっこいい!

原油の調達にはこの船で何日もかけて東南アジアへ向かうそうで、その間乗組員はこの部屋で寝泊りしていたといいます。

こうやってみるとコンクリートなのにかなり大きい船だった事が分かります。

船の丸窓もしっかりとあります。

窓から港町を眺める。

どこが操縦室だったんだろう。

まだ管理されてるからいいけど、これが放置されていたら完全に幽霊船ですね。というかこうなりゃ管理されてても幽霊船か。

船の下を除くと…いい色してますなコリャ。

二号を超えるとその先は灯台があります。真っ赤な消防送水口のような形をしています。

灯台側からみた武智丸二号。ここから見ると船やったんやなぁというのが分かります。

階段の下へ入ってみると迫力に圧倒され怖い!

船の先端部分はさすがに強度が必要だったのか鉄が使われているんですね。

さぁ戻りましょう。いつまでも残っていてほしい歴史遺産だと思います。

感想・まとめ

大久野島へ行く予定を立ててる時たまたま見つけた物件。地味ですが廃船という事で僕は興味があったのでまぁ暇やしいってみよかという感じで行ったのですが、これが大当たりでした。(個人的に)

管理されてるとはいえ、船はもう船の扱いはされておらず防波堤、灯台までの道といった扱いで、ボロボロ。また歴史的経緯もありますし、二号は船自体を歩く事ができ散策もできるので楽しめました。また水没部分の水がとても綺麗でした。広島らしい廃墟なのかなといった感じです。広島が舞台のぼくなつ思い出しました。

戦争で活躍する為に開発されたものが、町の人々を守る役割で利用されているというのは感慨ぶかいものがあります。鉄すらまともに使えず、コンクリートで船を作ってたほど戦争に苦しんでいたのは事実ですから、この船を見て散策して、改めて平和な時代の日本に生まれてきた事を幸せに感じました。

山と終末旅の管理人について
たむ - tamura -
平成3年生まれ、京都に住んでいます。登山や、夜景、人の少ない観光地へ行って、現実から逃げ、非日常的な体験をする事が好きです。

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