土倉鉱山跡 – 草木に沈む神秘的な選鉱場コンクリート廃墟
廃墟の情報
廢墟レポート vol.66:土倉鉱山跡 Tsuchikura Mine
滋賀の金糞岳の八草峠付近にある土倉鉱山跡という所に行ってきました。
4月の頭に訪れたのですが、さすが奥伊吹、ご覧の通り雪が積もっていて探索はなかなか厳しいものでした。
長浜から303号線を岐阜に向かって進み、峠手前で旧道に入っていく道を進むと、ひっそりと入り口が姿を表します。散策した日は入り口から少しはいると雪が積もっていて、200mほど雪の上を歩いて現地まで向かいました。
鉱山跡といっても残っているのは選鉱場跡の建物が解体された跡のコンクリート土台だけ。
しかし、こんな山の中を進んでいくと見えるこの大きな人工物の塊は、なにかかつての神殿の遺跡、はたまた要塞のような不思議な魅力を持っています。
かつては看板も出ていてオープンな感じだったのですが、私有地である事と、コスプレなど散策に適していない格好で中に入っていったり危険な行為をする方が増えたので現在は立入禁止の看板が建てられていました。
この土倉鉱山は明治40年に銅鉱脈が発見され田中鉱業(株)が発掘を始めたのが始まりとなります。日窒傘下の発見当初の鉱山は現在の場所より2kmほど北にありましたが、昭和14年に雪害によって23名の死者を出した為、昭和15年に現在の位置に営業所が移動されました。
昭和25年には日窒鉱業に経営が移り、最盛期には年間1万8000tの出鉱量がありましたが、昭和32年の貿易自由化により海外から安価で鉱石が流入するようになり、昭和40年に閉山となりました。
同じく貿易の自由化で閉山に追い込まれた鉱山は沢山ありますね。
最盛期には1500名もの人々がこの地で暮らしていて、マーケットや共同浴場、映画館や診療所、小学校などがあったそうですが、現在この周辺で面影があるのはこのコンクリートの遺跡のみという感じです。90年台まではこの選鉱場の奥に鉱山アパートが残されていたそうなのですが取り壊されたそうです(それが本来見たかった…)。
コンクリートのみの選鉱場跡を歩くが、やはりコンクリートだけなので何の設備かわかりません。
小さい頃から親に連れられ廃墟に行っていましたが、本来僕が思っていた廃墟とはこういうタイプでした。
懐かしいとか、思いにふけるとか、歴史を知りたいとかは、大人になってから感じるようになった事で、元々ははしゃいで走り回れるような場が好きでした。
今はやはり色々回ったせいか、物足りなく感じますが、気づいたらたった一人で息を切らしながら無我夢中であるきまわっていました。探索というより探検という感じ。
またこれが夏なら、コンクリートの間に映える草木が緑で廃墟感がでてて良さそうやなぁ。
地元ではとても有名らしく、夏には若者やコスプレイヤーや写真家などが結構来るのだといいます。
良い被写体ですもんね~。
登れそうな所があったので上まで登ってみます。
ベルトコンベアーの跡でしょうか。
楽しいな~
雪に苦戦しながらかけまわります。
大きなタンクのようなもの。
ところどころに開いている大きな穴が不気味に開いています。
シックナーは雨水がたまっています。秋田の尾去沢鉱山のようですね。
感想・まとめ
昭和40年に閉山後、この土地で忘れされていた土倉鉱山ですが、近年は廃墟ブームもあり今では人気の廃墟となりました。土台だけのコンクリート遺構ですが、それが月日がたち神秘的な雰囲気が立ち込めています。
あくまで廃墟ですので、探索には危険が伴います。夏場はスズメバチが居るので、無茶な散策はしないように気をつけて下さい。